横浜市磯子区森2-16-7 (令和6年12月26日)
東経139度36分57.13秒、北緯35度23分40.89秒に鎮座。
【神社情報・「狛犬さがし隊Kさん」より】
この神社は、京浜急行・屏風浦駅の北北東500m程の辺り、森の街中に鎮座しております。
御祭神 木花咲那姫命
由緒
森浅間神社の古は相州鎌倉扇ヶ谷に在り、亀谷山権現堂福禪寺と号し、建久8年己6月(1197)権現堂開山幸蔵坊長慶比丘(姓藤原)右大将源頼朝卿の請に因り、不動明王を奉じ天下泰平を祈る。
当時鎌倉より本郷上野村峯矢部野笹下を通し、對岸の上総下総方面への海路及び戦略上の要所である武州森村に幕府は陣屋を作るに当り、当地我沙羅山山頂に霊峰富士より木花咲那姫命の分霊をうけ堂を建立した
長慶以降権現堂福禪寺の法灯を継ぐ歴代住職は、この地に赴き各種祈願をなしたと言う。これが浅間神社の起なり。鎌倉幕府最後の将軍守邦親王治世嘉暦3年1328)権現堂六代権僧都法印長円親王の御祈祷所として、守本尊薬師仏像を賜り護持す。元弘3年(1333)鎌倉に戦乱ありしとき、この薬師仏像を奉じ親王は長円を伴い鎌倉を脱し、森村に移り建武2年(1335)5月28日森浅間神社の本地仏として安置す。現在当社の御神体なり。この時をもって森浅間神社創設とする説もあり。
明応年中(1492〜1501)権現堂十五代長恵の時、鎌倉を退転し森村に居住。更に文禄年中(1592〜1596)十九代長観の時、松本の里に移りし後も代々修験道職を持って当社に奉じ、明治維新後は松本姓を名乗り神官職とし神社を護持し現在に到る。
境内由緒書き より。
参道
石段上より見る参道
拝殿
拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。
(大正9年(1920)7月15日建立)
神額
神輿殿
不動滝入口
滝
朝日不動明王尊