横浜市保土ヶ谷区川星川1-19-1 (平成28年7月25日)
東経139度35分36.38秒、北緯35度27分12.91秒に鎮座。
【神社情報・来戸さんより】
相模鉄道本線「星川」駅より徒歩10分程の所に鎮座しています。
御祭神 日本武尊
御由緒
村の中央にあり、社地は小山にして松杉の古木繁茂せり、山を登ること凡三十間ばかりにして上に社あり、二間四方許りなり、本地釋迦にして一尺六寸の立像なり、拜殿二間に三間、前に鳥居をたつ、すべて巽(注:たつみ・南東の方角)に向へり、村内法性寺持、
新編武蔵風土記稿>神奈川領>下星川村>八幡社 より
由緒
杉山神社が文献にあらわれるのは約千年前、平安の時代にさかのぼります。
『続日本後紀』には、貞和五年(八三八年)二月十二日の条に、杉山神社に霊験(ご利益)があるとして、朝廷からお供え物である幣帛が奉らたことや、嘉祥元年(八四八年)五月二十二日に杉山神社の大神が神階(神に冠せちれた位)従五位下を授けられたことが記されています。
『延喜式』九巻・十巻に朝廷より幣帛を奉る神社二八六一社1(鎮座神三三二座)が記載されていますが、これら『延喜式』に記載のある神社は「式内社」と呼ばれ、現在においても格式の高いお社であることの証とされています。武蔵国四十四座のお社のなかに都筑郡に杉山神社の名が見えます。
江戸時代に書かれた『武蔵国風土記』には、当時の武蔵国に杉山神を奉斎するお社が七十二社あったことが記されています。杉山神社と称されるお社が複数あるなかで、式内社に該当するお社がどれなのかについては今日明らかにされていません。
私共が奉祀しております星川杉山神社は、東に横浜の港と、はるかに千葉県上総の山々、西には霊峰富士の山を望む高台に鎮座しています。
『武蔵国風土記』をうけて編纂された『新編武蔵国風土記稿』には橘樹郡神奈川領の下星川村に鎮座する杉山神社に関して「村の中央にあり、神社の境内の小山には松や杉の古い木が多く茂り、山を登ったところにある…云々」といった記述が見られます。さらに当時の地誌として民衆に親しまれた『江戸名所図会』には「新町より八町あまり北の方、下星川村にある。延喜式内社の神社にして霊験がある…云々」とも記されており、これら江戸時代の書物から式内社である杉山社が当社を指しているのではと推測できる記述があることが分かります。
なお、平成十六年には当社の裏手より、縄文時代から弥生時代にかけてのものと思われる遺跡も発見されました。
これらのことから、当社の周辺には太古の昔から集落が営まれており、この地に鎮座する杉山神社が、長い時代に渡って人々から霊験あらたかなお社として崇敬されてきたことがうかがえます。
境内由緒書き より
御朱印、神紋は三本杉
正面入口
境内
手水舎
拝殿
拝殿前の岡崎型狛犬 | |
(奉仕會 伊勢神宮 参拝記念 昭和12年(1937)8月1日建立) |
鞘殿
稲荷神社
裏入口
地神供養塔