諏訪神社

大和市下鶴間2540 (平成22年10月23日)

東経139度27分56.18秒、北緯35度29分39.67秒に鎮座。

この神社は、小田急江ノ島線・南林間駅の東1.5km程の辺りに鎮座しております。神奈中バス停の近くに参道入口があり、バス停の名称は「神社前」。この辺りでは一番大きな神社のようです。確かに周りは住宅地ですが、豊かな緑の広い社地に囲まれた静かな神社です。又、由緒書では「古来式内石楯尾神社なり」と書かれていますが、正確には論社と言うべきで、式内石楯尾神社の論社は数社あるようです。

境内案内図はこちら。

諏訪神社由緒
大和市下鶴間2540
御祭神 建御名方神
当社の創立は年代不詳なるも、古来式内石楯尾神社なりと伝えられ、新編相模風土記によれば文徳天皇天安元年(1857)五月祭祀のことあり。醍醐天皇延喜七年(907)の神名帳に高座小五座のうち下鶴間村に石楯尾神社ありと。鎌倉中期の頃諏訪社として祀られたものと考えられ延宝八年(1680)再建の棟札ありし趣によっても徳川氏入国当時既に厳然と鎮座せしこと明らかなり。なお元禄六年(1693)六月領主江原氏代官伊沢喜兵衛、同都筑氏代官瀬沼伝右衛門本地を寄進し御神体として本殿に奉安せりと。宝永八年(1710)六月再建、安永七年(1778)再建の棟札現存す。更に安政五年(1858)十一月六日社殿完成間近に工人の失火により社殿悉く消失せり。明治二年神佛分離令により観音寺持より村持となり、氏子の熱意により明治五年社殿を再建遷宮の祭典を盛大に挙げた。明治三十年秋季大演習の際、伏見宮真愛親王殿下、祭神の大軍神なるを聞こし召され御参拝さる。・・・・・
境内由緒書より。

参道入口と社号標

鳥居と参道

参道途中の江戸流れ。拡大写真はこちら。

(安政6年(1859)己未冬建立)

拝殿

拝殿の彫刻。拡大写真はこちら。

拝殿と本殿

元宮。諏訪社元鎮座地。この地東方約百米のところに宮田塚在り。この塚の石祠は古来より諏訪神社の元宮なりと伝えられ、式内石楯尾神社ともいわれていた。昭和四十七年十二月全農大和生産食品集配センターの建設にあたって宮田塚が買収されたにより移転せるものなり。


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