鹿島神社

相模原市南区上鶴間本町3-7-11 (令和8年3月11日)

東経139度26分50.51秒、北緯35度32分09.28秒に鎮座。

【神社情報・「狛犬さがし隊Kさん」より】
この神社は、JR横浜線・町田駅の南400m程の辺り、上鶴間本町の街中に鎮座しております。相模原市谷口地域で、古くから地域住民の皆様で大切に守っていただいてきた神社です。現在、神主は常駐しておりませんが谷口地域を構成する7つの地区から それぞれ選ばれた7人の総代と21人の世話人が奥様方もまじえ、 お正月や節分、七五三など、各種行事を執り行っております。九月の例大祭では鹿島睦、囃子連の皆さん、地域の皆さまと共に、 神輿巡行を含め地域全体で多くの人々にご参加、ご協力をいただいております

御祭神 武甕槌命

由緒
鹿島神社の御祭神は、武甕槌命(タケミカツチノミコト)で、この神は関東を中心に広がっている鹿島神社の総本社・鹿島神宮(茨城県)の祭神として知られている。当鹿島神社の創建も、おそらく建久年間(1190〜1199)に源頼朝が鶴舞の里(鶴間)に鶴舞神社(今の浅間神社)を創建したと伝えられる頃、これに因んで村人が相前後して、関東・東北地方を開拓され、そして農耕と深く関係する武甕槌大神を祀る鹿島神宮の御分霊を各々の村に勧請した神社の一つであろうと思われる。
新編相模風土記によると町田森野と鵜野森(大正10年(1921)日枝神社に合祀)と谷口村下森の、約300m離れた所に各々鹿島神社があったので、土地の人々は三鹿島と呼んでいたという。当時谷口村に居住していた、渋谷越後守義重が今から460年前の文禄3年(1594)に谷口村総鎮守鹿島大明神より分霊を我が屋敷内に移し奉り守護神とした、とあることからその前から当鹿島神社が村の鎮守様と親しまれていたのは明らかである。
正徳元年(1711)に社殿を再建したが場所が谷口村の北辺の高座川(今の境川)端の下森にあり何かと参詣に不便であった為、享和元年(1801・今から290年前)8月、現在地に遷宮した。それから4年後の文化2年(1805)に下森の遷宮跡地は石宮を建設し、鎮守古宮と称した。現在は同地の区画整理により石祠を上鶴間本町2-11番の地に遷し奉った。
文政2年(1819・190年前)10月に欅材建造の中宮殿が完成し、天保8年(1837)御神体奉安、天保13年(1842)欅材の春日鳥居再建、弘化4年(1847)現存している石燈籠一対も供えられた。安政6年(1859)には現在宝蔵殿に安置されている先代の神社神輿が新調され、嘉永6年(1854)には村内の木材を利用して大幟枠竿を一対新調したという。
それまで鹿島神社の行事の全ては青柳寺の歴代住職が斎行し、神社の名称も鹿島大明神または鹿島大神宮などと称せられたが、明治元年(1868)3月、神仏分離令が発せられて明治4年(1871)以降は無格社鹿島神社と称す。
大正9年(1920)には宝蔵殿を新築(現存)したが大正12年(1923)9月の関東大震災により草葺屋根社殿が大破した。現在の社殿は大正15年(1926)4月に上棟祭を行い、昭和2年(1927)に完成し、記念碑を建立した。さらに昭和8年(1933)社殿の亜鉛板葺き屋根を銅板葺き屋根に改造している。この年、神饌幣帛料指定村社 鹿島神社と称号が昇格した。そして昭和28年(1953)に宗教法人鹿島神社として現在に至っている。
以後神社境内の整備充実につとめ、昭和43年(1968)には明治維新百年を記念して社殿、宝蔵殿および社務所(旧)の整備や周囲全域にわたり花崗石玉垣と石灯籠の新設を行い、翌昭和44年(1969)に記念事業完成式典を大々的に挙行した。
さらに神社・境内の整備充実は進み、昭和50年(1975)9月に例大祭を記念して手水舎を新設、平成元年(1989)には神社神輿を新調した。最近でも地元の絶大な協力を得てますます発展を続けており、平成15年(2003)には念願の本格的な社務所が落成し、平成18年(2006)には第二鳥居の建て替えも行われている。現在も崇敬者の数非常に多く尊崇、日々に厚い。
境内由緒書き より。

参道入口

鳥居

拝殿

拝殿前の狛犬

 

(年代不明)