紀伊神社

小田原市早川1183ー1 (令和6年12月5日)

東経139度08分41.82秒、北緯35度13分50.27秒に鎮座。

この神社はJR東海道本線・早川駅の南南西約600m、国道135号線より一本西よりに走る旧道沿いに入口が面しています。ところが境内は東海道本線の向こう側にあり、参道途中の頭の上に東海道本線が通っていました。その奥の市指定天然記念物 となっている古木の林立する鎮守の杜は、市街地化して緑の少なくなってしまった小田原市では、貴重な存在となっているようです。中でも御神木の大楠は、その姿・幹回りなど偉容を誇っていました。社殿などは、ごく一般的な村社といった佇まいでしたが、大正11年生まれの籠に保護された招き型陶器製狛犬は、狛犬ファンには一見の価値ありと思われます。

御祭神 五十猛命・惟喬親王

由緒
早川の氏神様で往古は木宮大権現、のち紀伊宮大権現と称され、土地の人からは「木の宮さん」と呼ばれた。箱根物産木工業の人たちに昔から崇拝されてきた神社である。
神社縁起によれば、貞観年中(859〜876)の創建で、祭神は五十猛命と惟喬親王(文徳天皇の第一皇子)とが奉祀されている。
木地挽(轆轤師)の開発者といわれる惟喬親王は天安2年(858)京の都を追われて伊豆(河津)に流罪となったが、途中風にあい国府津海岸につき早川の庄に至りこの地で歿したといわれ、当時親王の付人が木地を挽いて、朝夕の奉仕の料に当てたといわれている。
また、この地には「木地挽」と言う字名が現存するが、この字名はその名残であると言う。
なお、紀伊神社の社宝である「木地挽」は、小田原市の重要文化財に、社叢は天然記念物にそれぞれ指定されており、中でも社殿前のクスノキは市内で最大の老木である。
境内由緒書き より。

参道入口

参道

拝殿

参道左右の狛犬。拡大写真はこちら。

(大正11年(1922)7月建立)

本殿覆屋


太子堂

太子堂を護る狛犬。拡大写真はこちら。

(昭和10年(1935)建立)

市指定重要文化財・小田原の道祖神

境内社

鐘楼

御神木のクスノキ