小田原市城山4ー23ー29(平成18年11月12日)
この神社は国道1号線沿いの東海道本線と東海道新幹線の間に鎮座しています。地図に記載が無く、信号待ちの間に神社に気が付き、急遽参拝しましたが、とても雅な雰囲気の、綺麗な神社でした。
御祭神:三浦荒次郎義意、木花咲耶姫命、火之加具土神
由緒:
創立年月等旧記焼失して詳ならず。古老の口碑に永正年間(1504〜1521)の勧請と伝えられる。陸奥守従四位下、三浦道寸義同公の息子荒次郎義意公(弾正少弼)は、当年21才の若武者・筋骨たくましく85人力といわれ、白樫の八角棒を打ち振り群がる北条軍五百余人を次々と薙倒し、獅子奮迅の働きもむなしく永正15年(1518)、早やこれまでと自刃したが、その首級が飛んで当山の古松の枝にかかった。そして三年の間眼を開いたまま落ちなかったと言う。路往く人々これを見て気絶をなし、死に至れる者さえも出たといわれ、この事を聞いた小田原久野総世寺の忠室和尚が、「うつつとも夢とも知らぬ一眠り、浮世の隙を曙の空」と詠んで手向けたところ、首は松の枝から落ち、その時中空に声あり「今より禍いを福に転じ、永く当所の守護神となるべし」と聞こえたという。その松の下に祠を建て荒次郎公の霊を祀ったのが当神社であると伝えられている。
当町十字二丁目、三丁目、四丁目、大窪村板橋の鎮守で、明治6年旧足柄県に於て村社に定められ、明治43年、大窪村板橋浅間神社、秋葉神社を合併する。(参拝の栞より)
社号標 | |
神社入口 | 参道の様子 |
境内の二の鳥居 | 拝殿 |
拝殿内の様子 | 覆い屋の中の本殿 |
旧社殿の木鼻狛犬 | |
旧社殿の木鼻龍 | |
昭和3年生まれの、顔にお面を貼り付けた様な造りのしょうわ狛犬 | |
(昭和3年建立) | |
聖徳太子堂 | 境内社・八幡神社 |
境内社・金刀比羅神社 | 境内社・稲荷神社 |
境内社・水神社 | 神楽殿 |
御神木 | 上の境内から見た、 雅な雰囲気の下の境内 |
神輿庫 | |