曽比(そび)稲荷神社

小田原市曽比407 (令和6年12月6日)

東経139度08分20.67秒、北緯35度19分04.78秒に鎮座。

この神社は、小田急電鉄小田原線・開成駅の南600m程の辺り、曽比の街中に鎮座しております。

御祭神 倉稲魂命・大山咋命・素戔嗚命・大山祇命・木花咲耶姫命・大日孁命・豊受姫命・水波能売命

由緒
稲荷神社は全国的に多く、神社の45%を占めると言われています。稲荷とは、「稲生」「稲成」等の古字が用いられ、往時から稲の豊作を司る神として崇められています。御神体は、稲束を背負った農民像が多く、農耕文化を中心に栄えたわが国の歴史をうかがせます。その後、商売繁昌、家運繁栄等の神として、全国的に親しまれています。
曽比稲荷神社は、惣社稲荷略記(大井町真福寺蔵)によると、八幡太郎義家が、曽比村に草創した真福寺が変じたもののようです。(新編相模風土記真福寺記)
今から約900年前の康和年間(1099〜1103)、鎮守府将軍源義家公が、東征の途中、当時の寺主覚超僧都と軍中無事の祈祷をし、日夜仰願したところ、白狐が現れて軍陣の魁をひらき、至る所で戦功をあげました。義家公は、その威徳に感謝し、祭祀と田園を与えられました。その後、村の鎮守の神としても霊妙や神徳が発現され、その威力が四方に聞えるようになりました。公は、菅家に神の賞位を奏上し、「惣社正一位稲荷大明神」の称を賜わりました。
文政10年(1827)、上郡西大井村真福寺に寺主、金剛乗沙門傳持阿遮耶実辨が、後代の照鑑として、以上のことを記録しています。
今でも、この神社に参拝する人は多く、中には、祈願により不治の病が癒えたと、神威に感謝されている人もいます。
境内由緒書き より。

神社入口

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(御大典紀念 昭和3年(1928)11月建立)

龍と木鼻の狛犬

本殿覆屋


稲荷神社

稲荷神社を護るお狐様

不明の像

堅牢地神碑等

庚申塔