小田原市酒匂2ー27ー1 (令和6年12月6日)
東経139度11分21.02秒、北緯35度15分55.05秒に鎮座。
この神社は、JR東海道本線・鴨宮駅の南南東1km程の辺り、酒匂の街中に鎮座しております。
御祭神 伊弉諾尊・伊弉冉尊
由緒
酒匂神社の原神は、大和朝末期(650頃)大和朝から派遣された統治者が守護神として「八幡社」を祀ったのが最初であり、この頃、高麗民族が渡来して、先進文化、特に棚機を広め「棚機社(七夕社)」等も祀られていた。
平安末期(1130頃)後鳥羽上皇が箱根権現に、酒匂郷48町歩を寄進した。その後、安久5年(1149)に、箱根権現の富士上人参朝が、寄進された地「免耕地(現在地)」に、箱根五年を勧請し「駒形社」を祀った。
その駒形社についての記述は、承和2年(1346)の「古文書」に小田原松原大明神と並んで酒匂駒形として初めて登場している。「新編相模風土記稿」には天文22年(1553)7月2日に岡部出雲守廣定と酒匂郷檀那(小島左衛門太郎正吉)が、それぞれ懸仏(銅鏡)を寄進し、そこに駒形大権現と記されている。「小田原衆所領役帳」にも北条幻庵(早雲の子)の所領として四十貫弐百五十文酒匂駒形分とある。また先の「風土記稿」に元和7年(1621)に城主の安部備中守正次が5石を寄進したとされている。
その後、明治初年に始まるさまざまな神仏分離令により、近くの八幡社を、明治10年4月に駒形社の場所に移して酒匂神社とした。祭神を伊弉諾尊、伊弉冉尊。駒形社の祭神、鸕鶿草葺不合尊と定め、八幡社、金山社、諏訪社、十二天社、白山社、雷電社、明神社、山王社、七夕社お合祀した。
例祭は、7月7日に駒形社・八幡社の神輿が村中を巡行していたが大正末期に4月7日に変更した。(現在は4月の第1日曜日)。
境内由緒書き より。
参道入口
鳥居
拝殿
拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。
(昭和12年(1937)4月建立)
鳳凰・龍と木鼻の狛犬
本殿覆屋
境内社
境内社を護る狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)
内部
慰霊塔