大久保神社

小田原市城山3ー27ー7 (令和6年12月5日)

東経139度09分02.14秒、北緯35度14分57.83秒に鎮座。

この神社は、JR東海道本線・小田原の南西800m程の辺り、小田原高校の南西側隣に鎮座しております。

御祭神 大久保忠真・大久保忠世

由緒
小田原大久保家初代忠世、並びに10代忠真を祀る。
大久保家は、下野(今の栃木県)宇都宮に勢力を持った藤原道兼の流れに宇都宮朝綱の子孫で泰藤のとき、建武の役に新田義貞に従い転戦したが、義貞が越前で討死したので、三河の上和田に土着した。その後、姓を宇都宮から宇津に改め5代目昌忠(室町期)の頃から徳川の祖、松平信光に属した。昌忠の曾孫忠員の時、姓を宇津から大久保に改めた。
忠世はこの忠員の子で遠州二俣城主であったが、天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原攻略で徳川家康に従い参戦し、戦後4万5千石で小田原城主となった。
大久保家は2代忠隣のとき改易になり、その後大名に復活し5代忠朝のとき小田原藩主に帰り咲いたのは、70年不在の後であった。石高は11万3千石に達した。忠真は、大阪城代、京都所司代、老中を歴任し、二宮尊徳を始め多くの人材を登用し、忠臣孝子を顕彰するなどし大久保家中興の名君と知られている。以降も代々小田原城主として栄え、15代忠良の明治の大政奉還まで小田原藩主として続いていた。
境内由緒書き より。

参道入口

参道

鳥居

参道左右の狛犬。拡大写真はこちら。

(明治29年(1896)3月3日建立)

境内入口

拝殿

本殿