神山(こうやま)神社

小田原市久野235 (令和6年12月5日)

東経139度08分56.30秒、北緯35度15分48.02秒に鎮座。

この神社は、小田原市役所の西北西700m程の辺り、久野の街外れに鎮座しております。

御祭神 天照大神・伊弉諾命・伊弉冉命

由緒
神山神社の祭神は天照大神、伊弉諾命、伊弉冉命で、第66代一条天皇の永延2年(988)に創建されたといわれています。
かつて神山神社は、久野坊所村山中に在社していましたが、兵火により焼け落ち、その時社殿から御幣が舞い上がり、松田の神山と現在地に落ちた。また、権現再興のため牛に乗せ山道を降りて来た時、現在地にて牛が動かなくなったため、この地を霊地として御魂を移した、などと言い伝えられています。
応永23年(1416)、上杉禅秀の乱により、それまでの社殿や宝物などが焼失しましたが、大永4年(1524)神山権現を信仰した北条氏綱により社殿が改修されました。
天正18年(1590)、小田原合戦の際に、神主の窪倉中務正広は、戦火を逃れるために神社の宝物類を携えて逃げる途中に亡くなったため、神社はこれまでの繁栄を失ったといわれています。
小田原合戦前は近隣の村々18箇村の総鎮守でしたが、江戸時代後期には久野・池上・荻窪の3箇村の、そして現在は久野地区及び水之尾地区の一部の総鎮守となっています。例祭日は10月吉日です。
境内由緒書き より。

参道入口

二の鳥居前の狛犬

二の鳥居

拝殿

拝殿前の狛犬

本殿


忠魂碑と魚雷