中郡大磯町国府本郷935 (平成22年5月2日)
東経139度16分39.05秒、北緯35度18分12.58秒に鎮座。
この神社は、小田原厚木道路・大磯ICの南1.5km程の辺り、大磯町国府新宿の中の国府本郷飛び地に鎮座しております。普通「国府」は「こう」と読むのですが、ここは「こくふ」と素直に読みます。しかし、ここに国府があったとは必ずしも云えないようです。
相模国は全国で唯一、国府所在地がいまだに特定されていない国である。国府の候補は四箇所ある。
和名類聚抄および拾芥抄では、大住郡とある、現在の平塚市四宮付近で関連の遺跡[2]が発掘された。『伊呂波字類抄』では、国府は余綾郡(よろきぐん)とする、現在の大磯町国府本郷辺りと推定される。
この二箇所のほかに、国分寺があった海老名市付近に初期の国府があったとする説、現在の小田原市にある千代廃寺を初期の国分寺とみなしその付近に初期の国府があったとする説もある。
『ウィキペディア(Wikipedia)』より。
しかし、今も大磯町国府本郷の神揃山(かみそろいやま)で、国府祭(こうのまち)と呼ばれる祭りでは、相模国の一之宮=寒川神社、二之宮=川勾神社、三之宮=比々多神社、四之宮=前鳥神社、平塚八幡宮、総社=六所神社の有力六社が参加し、関東最大の祭が執り行われています。少なくとも或る時期、この地の国府があったのではないでしょうか。抑も六所のいわれが、前の五社+ここ=六所で、嘗ては、「国府六所宮」とも云われていたようです。
人皇十代崇神天皇の頃、出雲地方よりこの土地に一つの氏族が移住せられ開墾した。そして、この地の地名を柳田郷(やなぎたごう)と名付け、氏族の祖神である櫛稲田姫命(くしなだひめのみこと)、須佐之男命(すさのおのみこと)、大己貴尊(おおなむちのみこと、別名大国主命)を守護神として石上台(別名伊勢神台、当鎮座地北西一キロメートルの台地)に祀り、社殿を結構(ゆいこう)し、「柳田大明神」と称して地域の親睦発展はもとより、子々孫々に到るまでの弥栄を祈願した。この柳田大明神が六所神社の旧名であり、創建は崇神天皇甲申の歳といわれ、今から約2050年〜2100年前です。
柳田大明神の加護のもとに氏族の人々は心を一つに和して開墾開拓に辛苦努力を重ね、東国開発の基礎を固め、相模国の形成に多大な貢献をなした。
大化改新以来国司は、任国に着くと先づ神拝(しんぱい)と言って国中の主たる神々を順拝し国幣(こくへい)を頒(わか)つ制であったが、順拝は大変な日数と費用と人員を要するため主たる神々の御分霊をあわせ祀(まる)る社(やしろ)即ち総社を設ける習いとなった。
大化の改新後、国の行政も次第に整い国司の制度が始められてゆく中に、元正天皇の養老二年(718年)閏四月八日、石上台より現在の鎮座地に奉遷、暦勅を以って相模国八郡神祇の中心をなすべき旨、宣下された。桓武天皇の天応元年(781年)五月五日、早良親王(さがらしんのう)夷賊征討に際し、退壌祈願があった。平安時代に相模の国府が柳田郷に遷され、地名も国府と称せられるようになった。
相模国府祭(こうのまち:神奈川県無形文化財)もこの時代から「お祭り」の性格を持つようになったと思われます。そして、鎌倉時代になると源頼朝の崇敬誠に篤く、吾妻鏡(あづまかがみ)によると治承四年(1180年)十月十六日の条平家の大軍が、平維盛を大将として富士川に攻め寄った時、国府六所宮にて戦勝祈願を行う。
鎌倉時代になると源頼朝の崇敬誠に篤く、『吾妻鏡』治承四年(1180年)十月十六日の条によると、平家の大軍が平維盛を大将として富士川に攻め寄った時、「国府六所宮」にて戦勝祈願を行う。同年十月二十三日、源頼朝は北条時政等二十五名の功賞を行う。その規に依り文治二年(1186年)、本殿の改造が行われた。建久三年(1192年)八月九日、源頼朝の実子実朝の安産誕生祈願の為「総社柳田」に神馬奉納と記す。建長四年(1252年)四月十四日、宗尊親王将軍の事始に幣帛神馬を奉納。
戦国時代には、北条早雲の崇敬も大変篤く、子息氏綱が永正年間(1501〜1520年)に六所宮の社殿造営、四代目左京大夫氏政が本殿の修復を行い、これが現在の本殿である。天文十三年(1544年)十二月二十三日付の北条氏寄付状があり、相州六所領六十五貫七十六文と記す。
徳川家康も相模国六所宮に対する崇敬篤く、天正十九年(1591年)、武運長久の祈願として六所領五十石の寄進状朱印があり、徳川家光からも慶安元年(1648年)、国家安全祈願として五十石の寄進状朱印があった。以後歴代の将軍の特別な祈願と六所領の寄進があり、明治に至る。
六所神社『御由記』より
国道一号線に立つ一の鳥居と社号標
嘗ての参道は東海道線で断ち切られたようです。狭いトンネルを抜けて旧参道は続いています。
旧参道の御神木。目障りな電線も御神木を除けているようです。
神社入口
境内
拝殿と狛犬
拝殿前の狛犬。やや重厚さに欠けるが素晴らしい江戸流れです。拡大写真はこちら。
(年代不明)
注連縄
拝殿内部
本殿
拝殿より見る境内と参道
六所稲荷大明神
六所ひぐるま弁天社
不明の末社
大神輿殿
湯津爪櫛をかたどった絵馬と説明