吾妻神社

中郡二宮町山西 (平成22年5月2日)

東経139度15分12.7秒、北緯35度17分42.1秒に鎮座。

この神社は、東海道本線。二宮駅の西600m程の辺り、吾妻山公園の中に鎮座しております。と云うより、吾妻神社が鎮座する、吾妻山に近年、公園が作られたのでしょう。

吾妻神社由緒記
吾妻神社は梅沢の氏神でその創建は第十二代景行天皇の朝に始まると云う。主神は弟橘媛命とし日本武尊を配祀する。日本武尊は景行天皇の第三皇子である。天皇にそむく蕃族を征伐するため東北におもむく途中三浦半島走水から海路上総に渡る時、暴風突如に起り、そこで妻の命は夫にかわり海神の怒りを静め夫の武運を祈り海中に身を投じた。するとたちまち海は穏やかになったと云う。其の七日後に命の御櫛がが海辺に流れつき、埋めて御稜を造る。この前下一体を埋沢といい梅沢と同音である。又命の小袖が磯辺に漂いこれを取りて山頂に祭ったと云う。その海岸を袖ヶ浦と云う。日本武尊は東北戦が終り帰路相模国から足柄を通り甲斐に出る途中、峠ではるか東方の海をながめ(ああ吾が妻)と嘆かれたと云う。弟橘媛命の御神体は木彫の千手観音で既に数千年星霜を経て現在藤巻寺に安置してある。源頼朝幕府を鎌倉に創設するや、妻政子本社を崇敬すること浅からず。吾妻山全山と山麓田畑並に霜見塩田を寄附する。右大臣源實頼(實朝?)も祈願の為建保六年に雄剣を奉納する。
境内由緒書より。全文はこちら。

公園案内図。北は右。

神社遠景と社号標

参道入り口。案内図では「梅沢へ」となっている道です。ただし付近に駐車場は無く、二宮駅側より行かれる事をお薦めします。

鳥居

参道脇の神明神社

参道。10分程で境内となります。

最後の石段と鳥居

拝殿

本殿

本殿の彫刻。拡大写真はこちら。

石仏や石碑