海南神社

三浦市三崎4ー12ー11 (令和6年3月27日)

東経139度37分19.42秒、北緯35度08分22.09秒に鎮座。

この神社は、三浦市役所の南西300m程の辺り、三崎の街中に鎮座しております。

御祭神 藤原資盈公・盈渡姫
相 殿 地主大神・素戔嗚尊・天日鷲神・菅原道真公・筌龍弁財天

由緒
御祭神・藤原資盈公は、天児屋根之命之の苗裔である。九州太宰少弐広嗣の五代の孫に当り、五十六代・清和天皇の御宇、皇位継承争いに関係した伴大納言善男の謀挙に荷担しなかった為、讒訴で追討の罪を蒙って筑紫の配所に航する途中、暴風に遭遇して貞観六年(八六四)十一月一日父子三人、郎党五十三人は当地に着岸した。(公の嫡男の船は房総半島に着岸し、現在の鉈切大明神は資盈公の嫡子を祀ると伝えられる。)
その後、資盈公は土地の長に推戴され、房総の海賊を平定し、郷民を教化して特に漁業の知を開き、文化の礎を築くなど福祉に努力したので、郷民の尊崇の念も篤く、貞観八年(八六六)に公が歿すると、その亡骸を海に沈め、祠を花暮海岸に建立して祀った。後、花暮の祠を本宮として天元五年(九八二)に現地に社殿を造営し、三浦一郡の総社となる。
その後、承応二年(一六五三)三月、正一位(吉田家神道の宗源宣旨)に進められ、享保四年(一七一九)三浦半島の総鎮守となる。明治六年郷社に列し、同四〇年神饌幣帛料共進神社に指定された。
海南神社公式サイト より。

境内案内図等はこちら。

参道入口

入口左右の狛犬。拡大写真はこちら。

(天保11年(1840)庚子建立)

参道の神橋

参道左右の狛犬。拡大写真はこちら。

(天保4年(1833)癸巳6月建立)

境内入口

拝殿

拝殿内部

拝殿奥の神殿狛犬

本殿


御神木。頼朝公手植えの雌雄の大銀杏。

御神木根元の備前焼狛犬。拡大写真はこちら。

(年代不明)


金毘羅宮鳥居

参道

金毘羅宮社殿


海南高家神社鳥居

海南高家神社社殿


稲荷神社鳥居

稲荷神社社殿

お狐様


疱瘡神社 御霊神社
龍神社 包丁塚

大神宮

末社

神馬社