三浦市南下浦町菊名149 (令和7年1月5日)
東経139度39分20.60秒、北緯35度10分25.04秒に鎮座。
この神社は、京浜急行久里浜線・三浦海岸駅の南1.4km程の辺り、南下浦町菊名の街中に鎮座しております。
御祭神 伊邪那岐尊・伊邪那美尊
由緒
古くは白山宮と称し、菊名左衛門重氏の守護神であったと伝えられています。菊名左衛門重氏は戦国時代初期(1500頃)の武将で、三浦一族最後の当主、三浦義同(道寸)に仕えていたと伝えられています。
当初は菊名の山林の中(現社殿より見える小高い丘付近)に鎮座していましたが、三浦一族の滅亡と同時に菊名左衛門重氏も討ち死にし、長きにわたり社頭も荒れ果てていました。
江戸時代の貞享元年(1684)に村民相議り現在の地に社殿を造営し遷座しました。以来、菊名の氏神様として崇敬されています。
社殿は幾度も改築され、明治41年(1908)に本殿の敷地を掘り下げ、幣殿を新造し拝殿を増築しました。なお石段並びに石垣も同時に新造されました。現在の社殿は昭和45年(1970)の造営であります。
境内由緒書き より。
参道入口
神額
参道
境内入口
境内入口の狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)
拝殿前の狛犬
拝殿
本殿
稲荷神社・浅間神社
金刀比羅神社鳥居
金刀比羅神社社殿
切妻造妻入形横穴古墳