寒川神社

高座郡寒川町宮山3916(平成19年10月8日)

 この神社はJR相模線・寒川駅の北北西約1.6kmに鎮座する相模國一之宮です。線路際の一の大鳥居から境内入口の三の鳥居まで、参道が約850m程続く大神社で、お正月や例祭日のみ為らず一年中参拝者が訪れる、今も八方除けの守護神として篤い崇敬を受けている神社のようです。

 御祭神:寒川大明神(寒川比古命・寒川比女命)
 例祭日:八方除祭・元旦祈祷祭・歳旦祭・1月1日、追儺祭・1月2日、武佐弓祭・1月8日、国府祭・5月5日、浜降古式祭・7月15日、浜降祭・7月第3月曜日、流鏑馬神事・9月19日、例大祭・9月20日
 由緒:雄略天皇(456〜479)の御代に奉幣、神亀4年(727)社殿建立と伝える記録があり、公式記録には仁明天皇承和13年(846)従五位下を授るという続日本後紀の記録があります。 延喜式神名帳(927)には「相模国高座郡 寒川神社」と記載され、相模国十三社のうち、唯一の名神大社とされています。
 後には源頼朝、北條義時、武田信玄等の武将、徳川家代々の篤い信仰をうけ、元国幣中社に列し、現在は神社本庁傘下の別表神社となっています。
 御祭神については、古くより諸説があり、古くは寒川神といわれていますが、近世には八幡神、あるいは菊理媛、素盞鳴命、稲田姫尊と称され、一定ではありません。明治7年「特選神名牒」の選があり、その際皇太神宮儀式帳に所載される末社牟彌乃神社の御祭神が寒川比古命・寒川比女命であることにより、新たに御祭神にこの一説が加えられ、明治9年「官社祭神考證」により寒川比古命・寒川比女命の二座とせられました。 大正5年12月、内務省通牒により、御祭神が寒川比古命・寒川比女命二神とされ、今に至っています。
 祭礼も伝統があり、1月の追儺祭は一切の灯を消して行う秘祭だそうです。5月5日の国府祭は神剃山に相模一の宮から五の宮の神輿が集まり、国家安泰五穀豊穣を祈願するもので、座問答という珍しい神事も行われます。7月7日の浜降祭では、40基あまりの神輿が茅ヶ崎の西浜海岸に終結し海で禊をするという奇祭です。9月19、20日の例大祭では、鎌倉時代から続く流鏑馬の神事、献茶、献句、武道などが奉納され、多くの参拝客で賑わうそうです。

一の銅製大鳥居
一の大鳥居から境内入口まで
約850m程続く参道
参道途中の二の大鳥居
境内入口と三の鳥居 社号標
「相模國一之宮 
國幣中社 寒川神社」
三の鳥居・太鼓橋 参道の様子
平成6年生まれの招魂社系狛犬
(平成6年(1994)中秋建立)
平成5年竣工、重層の神門
平成9年10月竣工、東西翼殿付きの豪壮な拝殿
216名が一度に着席できるという
大規模な拝殿内の様子

平成9年10月竣工、
流造総桧の流麗なる本殿
境内の様子 南門
旧神門を移築したのだそうです。
南門前、建立年代不明の招魂社系狛犬
吽は角付きです。

公式サイトはこちら。