八幡神社

川崎市川崎区大島3−4−8(平成19年1月28日)

 この神社は新川通・大島3丁目信号から北に200m、左側に鎮座しています。境内にはいるとすぐ参道は右に曲がり、境内奥中央に拝殿、本殿が建っています。その右側には境内社・権現社が、入口すぐには境内社・大島稲荷大神、力石などが置かれています。又、郷土の先人たちのご苦労と偉業を今に伝える「大島新田記念碑」(大正四年建立)も建てられていました。狛犬好きには飯島吉六さんの作品と共にもう一対の江戸狛犬も見られます。

 御祭神:誉田別命(応神天皇)、合祀:伊弉諾神、伊弉冉神
 例祭日:8月第1週日曜日
 由緒:当社は江戸時代に別当をつとめていた真観寺が火災に遭い、古記録の一切が失われたため、その来歴は不詳となりました。
 往昔、源義家が八幡太郎を名乗って前九年、後三年の役(1051〜1087)に勝利を得、関東に一大勢力を築いて以来、源氏一族は八幡神を氏神として武運長久、家門隆盛を祈ってそれぞれの領地に八幡社を建立しました。この社も、地区の住民たちが両大役の折、源氏方の将兵の宿泊に民家を提供したり、兵糧を供出したりして協力したことに対し、源氏一族が感謝のしるしとして建立したものと伝えられています。また、大島村は江戸時代までは河崎山王社(現在の稲毛神社)の氏子でもあり、現在も同社に伝わる格式高い重儀「宮座式」の重要な所役を担っています。
 昭和20年4月の戦禍で、本殿をはじめ全ての建造物を焼失しましたが、その復興は極めて順調に行われました。そして現在は大島地区の鎮守として多くの参拝者をあつめ、例祭をはじめとする祭事行事も氏子崇敬者の連帯協力により盛大に執り行われております。(由緒より抜粋)     
                        由緒書きはこちらで

神社入口 社号標
昭和12年生まれの江戸狛犬。
世相を反映して台座には碇と銃?、日章旗が彫られています。
阿は子狛を連れ、吽は玉に手を置いています。
子狛が親の前脚に自分の後ろ足をかけ、構えの恰好をしているのが微笑ましいですね。




 狛犬の拡大写真はこちらで


  (昭和12年4月吉日建立)
拝殿 本殿覆い屋
拝殿の挙鼻・龍
拝殿の木鼻・狛犬
前脚を前後に伸ばしているのは珍しいポーズです。
精悍で力強い良い彫りをしています。
明治39年生まれの江戸狛犬。
この地域で名高い石工・飯島吉六さんの作品です。
残念ながら阿吽共に顔面が欠けています。
日露戦争の影響でしょうか? 吽は砲弾を持っていますね〜。
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(十一代目石工・飯島吉六 明治39年10月納之)
境内社・権現社入口と社殿
 (天照皇大神、春日大明神、八幡大善神、白滝大善神、白竹日本大善神)
境内社・大島稲荷大神
(稲倉魂神)
神楽殿
力石