川崎市麻生区王禅寺東5-46-15 (平成29年5月20日)
東経139度31分11.35秒、北緯35度34分41.36秒に鎮座。
この神社は、小田急小田原線・柿生駅の南東2km程の辺り、周りは首都圏のベッドタウンとなっており、それらの谷間のような場所に鎮座しております。
御祭神 天照大神・大物主神
由緒
志村家に代々伝わる古文書によると、今から凡そ二百八十年前、即ち正徳年代 (一七一一) 以前に、伊勢山の地に神明社のあった事が記されている。それによると「崇源院さま (徳川二代将軍秀忠の正室) ご繁栄の砌、祈祷所として当村鎮守大神宮を勧請致し、これまで年々伊勢踊・神事祭礼・湯立・神楽等仕え来り当村の鎮守にござ候」とあるがその証拠となる物は確認されていない。
その後、文政九年 (一八二六) 、伊勢山の地に志村文之丞によって神明社、琴平社の合社が再建された。これが琴平神社の起りである。
昭和五十五年、氏子崇敬者による金刀比羅神の崇敬の思潮が強く打ち出され、社名を琴平神社と改称した。祭神は大物主神 (大国主尊の別名) であるが、神明社と琴平社の合社相殿のお宮であるため、神座の左側 (神座より見て) に天照大御神を、右側に大物主神を祀ってある。
神座は別々の室となっている珍しい神座である。本殿の手水舎にはこれを担いだ山伏の四体の石像が置かれているが、これは通称「がまんさん」と呼ばれ地域の人々に親しまれている。又神殿の天井には有名な絵師による六十三枚の花鳥山水を描いた板絵が嵌め込まれていて参拝者を楽しませてくれる。
昭和四十七年以降、三七七番地に参集殿、琴平神奥宮、神符の札所、社務所、儀式殿、東屋等がつぎつぎに築かれた。又境内附属の石造物も建造され、庭内には四季折々の花や樹木が配置され参拝者の憩いの場所となっている。
境内社として、伏見の稲荷大明社と塩釜神社、多賀神社を合わせて祭った稲荷社があり、弁財天社もあって年々参拝者の数が増えて来ている。
神奈川県神社庁公式サイト より
神社入口
神額
手水舎
儀式殿
琴平銭洗辨財天
恵比寿尊像・大黒尊像
塩釜大明神・多賀大明神・福寿稲荷大明神