銭洗弁財天宇賀福神社

鎌倉市佐助2-25-16 (平成24年2月26日)

東経139度32分43.63秒、北緯35度19分20.94秒に鎮座。

【神社情報・剣貝さんより】
JR鎌倉駅より徒歩30分程(急な山道を考慮して)の所に鎮座しています。この山道の下には人力車がスタンバイしています。寒い 日は乗る人が少ないそうです(上りは体が温まります)。神社の境内にしては若い男女が目立ちます。皆さんは銭洗い水で洗えば「福寿開運する」を「何倍も増える」と勘違い?し真剣に?洗っていました。中には「銭洗い」なのになぜお札なのだ !と、とにかくにぎやかでした。明治の神仏分離令により神社になりましたが、お線香は残りました。

御祭神 市杵島姫命

御由緒
創立起源は不詳であるが、伝承に源頼朝公が鎌倉建府の後、幕府の安泰と民心の安寧をひたすら神仏に祈請していた処、文治元 (1185)年巳月巳日の夜の霊夢の導きによってこの宇賀福神弁財天を拝した結果、治政の確立と民心の安寧を得るに及び、爾来これにあやかってここを信仰する者が次第に増えたという。神仏習合によって久しく弁財天(吉祥天女)の名で親しまれていたが、明治の神仏分離令により神社となった。
境内の岩窟より湧出する霊水にて銭貨を洗えば福寿開運するとの信仰が広く全国に行き渡り、縁日たる巳の 日には熱心な崇敬者の参詣が多い。
『相模風土記』に「隠里。村の西方佐助谷にある大岩窟を云ふ。往古夜中に人語の響あり。聞くに悉く吉事のみを語りしと云ふ。又窟中に銭洗井と云ふあり、福神此の水にて銭を洗ふと云伝ふ。鎌倉五水の一なり」とある。
神奈川県神社庁>銭洗弁財天宇賀福神社 より

源頼朝が、巳年である1185年(文治元年)の巳の月(旧暦4月)巳の日に見た霊夢に従い、佐助ヶ谷の岩壁に湧く霊水を見つけ、そこに洞を穿ち社を建てて宇賀神を祀ったと伝えられる。
同じく巳年の1257年(正嘉元年)に、北条時頼がこの霊水で銭を洗って一族繁栄を祈ったのが銭洗の始まりだといわれる。
宇賀神と弁財天が習合して弁財天と呼ばれ、相馬天王(扇ヶ谷)の末社だった。 明治時代の神仏分離により、相馬天王は八坂大神と改称、当社も祭神を市杵島姫命とし、1970年(昭和45年)には末社から独立した。
ウィキペディアより

管理人の一言。
人間の欲望の象徴、銭!!。不浄な銭を洗い清めれば福に恵まれるであろうといった信仰が、流石、国を挙げてマネーゲームに興じる現代、多くの参拝者は銭を増やす御利益に与ろうとやって来るようです。しかし、源頼朝公が巳月巳日の夜の霊夢の導き云々・・・とあるように、元々は宇賀神様を祀っていたと思われます。それが時代が下るとともに、人間の欲望にあわせ、辨才天を辨財天と書き直し、銭を増やしてくれる神様へと変身させられたようです。なんと欲深き人間達なのでしょうか。

神社への急な山道

東側の参道入り口

今は源氏山公園となっている高台に高射砲陣地を造る為、この坂道が車道として建設され、その後現在の東側参道となっているこのトンネルが掘られたようです。

比較的最近作られたトンネルなのだが、銭洗弁天と言えばトンネルの向こうといったイメージが強いのではないでしょうか。

手水舎

参道

西側の参道

狛犬&石窟

狛犬&常香炉

本宮

神仏習合を匂わせる線香の煙

奥宮

銭洗水でお金を洗うと何倍にも増える?

若い人が多いようです。そこで、老人からの忠告!。銭を洗っている暇があるなら、勉強をしなさい。知恵こそ一生価値の減らない財産となるのだ!。

七福神社
下之水神宮
上之水神宮
向拝竜
内部

境内

御朱印