天満宮

鎌倉市上町屋616 (平成24年5月8日)

東経139度31分6.26秒、北緯35度20分0.51秒に鎮座。

【神社情報・剣貝さんより】
湘南モノレール「湘南町屋」又は「湘南深沢」駅より柏尾川方面へ徒歩十数分の所に鎮座しています。神社の名は地図には掲載されてなく、社務所を兼ねた上町屋町内会館が掲載されており、それを目指して下さい。本殿は社殿内陣部にあると思い覗きました。内部には神輿等有り、よく見えませんでした。社殿左右には石祠が3基ありますが梅王社、松王社、稲荷社とのこと。確認は出来ませんでした。庚申塔は社殿裏側にあります。菅原道真一千年祭記念碑の銘が明治34年(1901年)、その千年前は昌泰4年(901年)の昌泰の変による菅原道真が左遷されている。富士講の石碑の台座には山真講紋があります。

御祭神 菅原道真
御由緒
上町屋の氏神。天慶年間(938〜947)上総介平良文が霊夢を受けて天神をこの地の鎮護として祀ったのがはじまり。石造庚申塔(寛文十年 1670年)は市指定文化財。
神奈川県神社庁>天満宮 より

平良文(たいら の よしふみ)
平安時代中期の武将。父は平高望。生母は高望の側室である藤原範世(異説として藤原師世)の娘。通称は村岡五郎。坂東八平氏(秩父氏、上総氏、千葉氏、中村氏、三浦氏、鎌倉氏、他)の実質的な祖とされている。
ウィキペディア  より

参道入り口に立つ一の鳥居

鄙びた感じが微笑ましい、素朴な江戸流れ。拡大写真はこちら。
(石工秋元重太郎 大正15年(1926)9月1日建立)

拝殿&稲荷社


庚申塔&菅原道真石像

寛文10年(1670)銘 正徳2年(1712)銘

山真富士講の石碑

講紋
富士講は独特の紋章である講紋で講の系統を区別しており、元講から枝講を派生させ、先達、脇先達、講元を置くという一応の形を整えて組織化されてくると、江戸を中心として各地に講碑の造立数次第に増えてきて、明治に入ると増加の傾向にさらに拍車がかかって盛んになってきた。

菅公一千年祭記念碑・明治34年銘