鎌倉市西御門2-1 (平成24年3月1日)
東経139度33分51.23秒、北緯35度19分21.45秒に鎮座。
【神社情報・剣貝さんより】
鶴岡八幡宮前の県道204を東へ、交差点「岐れ道」手前の路地 (綺麗な道)を北上した所に鎮座しています。源頼朝が聖観音を祀った持仏堂を頼朝の死後「法華堂」と呼ばれるようになった。私が参拝した日の19日前「源頼朝のお墓と白旗神社の狛犬2体壊される」事件が起こり、狛犬を見ることが出来ませんでした。岡ちゃんでなく修復された狛犬が戻ってくるといいですね。
事件:2012年2月11日
11日午後0時45分ごろ、神奈川県鎌倉市西御門の白旗神社敷地内で「源頼朝のお墓を壊している人がいる」と男性から110番通報があり、鎌倉署員が墓の上部が倒れるなどして壊れているのを確認した。墓は法華堂跡として、国の史跡に指定されている。墓は約180センチの石の塔で、最上部が倒れ先端の円柱部分が割れていた。白旗神社のこま犬2体は台座から落ちており、1体は胴体部分で真っ二つに折れていた。
産経ニュース より
白旗神社由緒記
祭神 源頼朝公
由緒
この地はもと源頼朝公居館(幕府)の北隅で持仏堂があり、石橋山の合戦にあたって髻の中に納めて戦ったという小さな観音像が安置され頼朝公が篤く信仰していた。正治元年(1199)一月十三日頼朝公が亡くなると、ここに葬り法華堂と呼ばれ毎年命日には将軍が参詣し仏事を執り行い多くの武将も参列した。
その後鶴岡八幡宮の供僧「相承院」が奉仕して祭祀を続け、明治維新に際し寺は白旗神社に改められ源頼朝公を祭神として今日に至っている。
明治維新で廃寺にされた際、ここに安置されていた如意輪観音、地蔵菩薩、自休像と、手洗石は、来迎寺に移されたようです。
参道
源頼朝顕彰碑
平成12年7月12日、源頼朝会によって建てられる。歌碑は、源頼朝研究の第一人者である大森金五郎氏によるもの。
「君出でて民もしづまり九重の塵もをさまる世とはなりにけり」
狛犬の台座の台座のみ
本殿
源頼朝の墓
現在は施錠されている頼朝の墓
今は扉越で拝みます
上部が無くなっています