龍口明(りゅうこうみょう)神社

鎌倉市腰越1548-4 (平成24年4月15日)

東経139度30分36.84秒、北緯35度18分53.79秒に鎮座。

【神社情報・剣貝さんより】
湘南モノレール「西鎌倉」駅より徒歩5分の距離、龍神祭の当日に参拝しました。「五頭龍(ごづりゅう)と天女」の伝説により江島神社とは夫婦神社となっています。腰越の地名の由来は十六人の子供がいた津村の長者の子供達が一人残らず五頭竜の犠牲となり“子死越”が腰越の地名の起こりだという。旧社殿は湘南モノレール「湘南江の島」駅または江ノ電「江ノ島」駅より徒歩数分の所、津に鎮座しています。境内(津)は鎌倉市の飛び地で回りは藤沢市になります。

御祭神 玉依姫命

御由緒
欽明13年(552年)、村人達は山となった五頭龍大神を祀るために龍口山の龍の口に当たるところに社を建て、子死方明神や白髭明神と言いました。これが龍口明神社の発祥と伝えられています。養老7年(723年)3月より9月まで江の島岩窟中にて、泰澄大師が神行修行中夢枕に現れた神々を彫刻し、弁財天は江島明神へ、玉依姫命(長さ五寸(約15cm)と五頭龍大神(同一尺(約30cm)の御木像を白鬚明神へ納めたといわれています(これが御神体です)。この時、龍口明神社と名付けられたと伝えられています。
龍口明神社公式サイトより

鎌倉昔話「五頭龍(ごづりゅう)と天女」
むかしむかし、1500年も大昔。鎌倉の深沢に、まわりが四十里という湖があり、主の五頭龍が住んでいました。山崩れや洪水を起こし、田畑を埋めたり押し流したりして、村人を苦しめていました。欽明天皇13年4月12日、大地震が起き、地震は十日の間続いたが、23日の辰の刻(とき)に、うそのように止まりました。こんどは海底から大爆発が起こり、まっかな火柱とともに岩が天まで噴き上げられて、小さな島ができました。これが江の島なのだと。五頭竜は、このありさまを湖の中から見まもっていた。すると、天から美しい姫が島に舞い降りました。この姫が弁天様とのこと。五頭竜は、天女に一目惚れし江の島へ行くと求婚しました。すると天女は「おまえはあらんかぎりの罪をおかしてきた。天女はそのような者の妻にはなりません」と。五頭竜は改心し天女と結婚できました。それからは日照りの年には雨を降らせ、実りの秋には台風を跳ね返し、津波が襲ったときには波にぶち当たって押し返していた。村人達に感謝されました。しかしそのたびに、五頭竜の体は衰えていった。ある日「わたしの命もやがておわるでしょう。これからは山となって村をお守りいたします」と、海を渡って帰ると一つの山になりました。これが片瀬の龍口山で、山の中腹には龍の形をした岩があって、江の島の天女をしたうようにずっと見つめていたと。
江島神社公式サイト「江島縁起」などを参考にしました。

村では、ここに五頭龍を祀った社を建て、龍口明神と名づけました。明神さまに祀られている神は玉依姫命だが、本殿には五頭龍の木彫りのご神体が納められています。そして、60年に一度の「巳年式年祭」のときには、木彫りの五頭龍を神輿にのせ、江の島へ連れて行って天女の弁財天と合わせています。

参道入り口に立つ一の鳥居と社号標

二の鳥居

拝殿

拝殿前の岡崎型狛犬

本殿

境内 しだれ桜

御神木

絵馬

御朱印