龍口明(りゅうこうみょう)神社 旧社

鎌倉市鎌倉市津1 (平成24年4月15日)

東経139度29分32.47秒、北緯35度18分29.02秒に鎮座。

【神社情報・剣貝さんより】
湘南モノレール「湘南江の島」駅または江ノ電「江ノ島」駅より徒歩数分の所、津に鎮座しています。境内(津)は鎌倉市の飛び地で回りは藤沢市になります。境内は入れません。先に若い女性二人が境内を覗き込んでいました。

もともとは龍口(たつのくち)の龍口寺西隣に建っていたが、安政2年(1773年)に龍口が片瀬村(現藤沢市片瀬)に編入されて以降、境内地のみ津村の飛び地として扱われた。鎌倉時代には刑場として使用された時期もあり、氏子達は祟りを恐れ、長年移転を拒んでいたという。
大正12年 (1923年)、関東大震災により全壊、昭和8年 (1933年)に龍口の在のままで改築したが、 昭和53年(1978年)に、氏子百余名の要望により、江の島を遠望し、龍の胴にあたる現在の地へと移転した。
なお移転後の現在も、旧境内は鎌倉市津1番地として飛び地のまま残っており(周りは藤沢市片瀬)、拝殿・鳥居なども、移転前の姿で残されている。
ウィキペディア  より

参道入り口

境内遠景

そんなに古くはなさそうですが知的で整った狛犬です。

鳥居前の道路・江ノ電


隣、龍口寺境内の龍口刑場跡

龍口寺(りゅうこうじ)は神奈川県藤沢市片瀬の龍口刑場跡に建つ日蓮宗の本山(霊蹟寺院)。山号は寂光山(じゃくこうさん)。略字体を用いて「竜口寺」と称す場合もある。

龍口は鎌倉時代後期ごろより刑場として史書に登場する。特に文永8年(1271年)9月12日に日蓮が処刑寸前に助命される事件(龍ノ口法難、日蓮宗では処刑直前に奇跡が起き助かったと伝わっている)は有名。ほかにも元の使者杜世忠や、中先代の乱を起こした北条時行もこの地で処刑された記録が残る。
鎌倉時代初期〜中期には龍口周辺の片瀬や腰越で処刑や首実検が行われた記録が残っている。龍口の刑場がこれら周辺での処刑とは別に設けられた物なのか、史書の表記揺れでいずれも龍口を指すものなのかはよくわかっていない。
江戸時代に入るとこの地は江ノ島・鎌倉への玄関口として数多くの巡礼者や観光客でにぎわうようになった。そして龍口寺の周辺は門前町として様々な店が立ち並び、盛況を誇ったと伝わる。
なお龍口の地については江戸時代初期からたびたび周辺の津村・腰越村・片瀬村の間で境界論争が行われたが、安政2年(1773年)に片瀬村へ所属する事が定まった。
ウィキペディア  より