丸山稲荷社

鎌倉市雪ノ下2-1-31(平成18年11月17日)

東経139度33分32.67秒、北緯35度19分22.27秒に鎮座。

【神社情報・剣貝さんより】
鶴岡八幡宮境内、上宮回廊の西方、丸山の上に鎮座しています。鶴岡八幡宮の末社です。丸山といってもそれほど高くはありません。むしろ丘と言った方が良いでしょう。今の社殿は、明応9年(1500)に造営されたものといわれ、柳営社を明治期に移築したものと伝えられています。本殿は国の重要文化財に指定されています。柳営社は源実朝を祀る社で、現在は同境内の白旗神社に合祀されています。

御祭神 倉稲魂神

御由緒
丸山稲荷社は、上宮回廊の西方、丸山の上に鎮座する。『新編鎌倉志』(剣貝注:貞享2年(1685年)に刊行)には、「本社の地に、初は稲荷の社ありしを、建久年中、頼朝卿稲荷の社を此山に移して今の本社を剏建せらる」とあり、御本宮御創建以前よりの鎮座の社といわれる。現在の御社殿は室町中期の様式であり、当宮に於いて最古の建造物であると推定される。
鶴岡八幡宮>宝物>丸山稲荷  より

新編相模国風土記稿(天保12年(1841年)成立)では
丸山稲荷社、本社の西山上(丸山と号す、)にあり。古上宮の地に稲荷の社あり、松ヶ岡明神と号せしを、建久中本社造営の時、此地に遷され丸山明神と唱ふ、後星霜を経て頽廃(たいはい)せしかば、寛文中仁王門前にありし稲荷社を爰(ここに)に移す、則今の社是なり、其頃は十一面観音と、酔臥人の木像(大工遠江と云る者、其酒を好て、此像を寄進すと云ふ、)を安じ、酒の宮と号せしが、酔臥の像は非礼なりとて是を廃し、観音を以て本地仏とす、

今風に言うと
丸山稲荷社は本社の西側の小高い山(丸山と称す)に有ります。古上宮の場所には稲荷社があり、松ヶ岡明神と称したものを、建久年中(1190〜1198)本社造営の時、今の場所に遷され丸山明神と称しました。その後歳月を経て退廃したので、寛文年間(1661〜1672)に仁王門前にあった稲荷社をここへ移しました。それが今(当時)の丸山稲荷社です。その頃は十一面観音と、酔臥(すいが:酒に酔って横になる)人の木像(大工遠江という人は酒が好きでこの像を寄進したと云う)を安じ、酒の宮と称していましたが、酔臥の像は非礼なのでこれを廃し、観音を以て本地仏としました。

新編相模国風土記稿は江戸時代に編纂されたものなので、「本地仏は十一面観音」の記載があります。因みに鶴岡八幡宮の御祭神、応神天皇(八幡大菩薩)は阿弥陀如来、神功皇后は聖観音、比売大神は勢至菩薩が本地仏でした。

本宮西側の入口

「鶴岡八幡宮」の社号標

手水舎

参道

本殿、準備前

準備前

準備中