熊野神社

鎌倉市手広5-1-1 (平成24年5月5日)

東経139度30分37.28秒、北緯35度19分23.17秒に鎮座。

【神社情報・剣貝さんより】
大船駅、藤沢駅より江ノ電バス「鎖大師」下車数分の所に鎮座しています。手広の鎮守社。青蓮寺支院の寶積院(廃寺となった)が別当。如意輪観音を本地仏としたという。緑地は当神社と鎖大師青蓮寺の周りだけ残り、他は新興住宅街に変貌、境内の滝も枯れたとのこと。

御祭神 伊弉冉命・事解男神・速玉男神

御由緒
祭神は、伊邪那美命・事解男命・速玉男命の御三神と解っているが、何故この御三神を祀ったか、又、いつ頃神社が創建されたのか、その辺については古文書の散逸により、よく判っていない。しかし、社殿の再興が後光明天皇(百十代)の慶安元年(1674)、つまり今から340年前の江戸時代初期に大岡美濃守によって行なわれたことを誌した棟札があるので、随分と古い神社であることが想像できる。
神奈川県神社庁>熊野神社 より

鳥居

参道階段

いたずら盛りの餓鬼のような顔をしています。拡大写真はこちら。
(昭和48年(1973)1月建立)

手水舎

拝殿

幣殿内部

本殿、この上は新興住宅地

境内

青蓮寺横の手広切通し

手広切通し
青蓮寺付近はかつて細い山道 (旧江ノ島道)しかなかったが、この県道の開通に先立ち1957年(昭和32年)に切通しが作られた。切通しの掘削には陸上 自衛隊の施設科中隊が動因される大規模なものであったが、これにより乗用車の通行が可能になり周辺地域の交通の便も飛躍的に向上した。この道路の開通は腰越地域(特に西鎌倉住宅地)の宅地化を急速に進展させた原動力となった。

鎖大師
鎌倉時代作の木造弘法大師坐像で、国の重要文化財に指定されている。この木像は両膝等の関節が鎖によって結ばれ、動かすことのできる珍しい仏像で、俗に鎖大師とも呼ばれる。この大師像はもともと、鶴岡八幡宮にあったが、明治に起きた廃仏毀釈のあおりを受けこの寺へ移され今に至っている。

いずれもウィキペディア  より