五社稲荷神社

鎌倉市岩瀬1399 (令和7年1月4日)

東経139度32分58.88秒、北緯35度21分29.40秒に鎮座。

この神社は、JR根岸線・本郷台駅の南西700m程の辺り、岩瀬の街中に鎮座しております。

御祭神 倉稲魂神・保食神・大己貴神・太田神・大宮能売命

由緒
建久年間(1190〜1198)源頼朝の随身一騎奉行である岩瀬与一太郎義正が当地に居住せし時、五穀豊穣と安寧を願って創建、江戸期には鶴岡職掌、坂井越後が神職を兼ねていたと「相模風土記」にある。岩瀬氏は、常陸国奥七郡を支配していた佐竹孝義の嫡男、義政の近習で常陸国那珂郡大宮郷岩瀬(現、常陸大宮市上岩瀬)の岩瀬城城主であったが「吾妻鏡」によると治承4年(1180)11月、源頼朝による佐竹氏攻めの際、常陸国府中手前大矢橋(現、花園川にかかる大谷橋)で捕えられ、常陸国府中(現、石岡市)の頼朝本陣にて見参した際、頼朝に諫言し、その武勇を認められ家人となり当地に居を構えたと伝わっている。
その後天明2年(1772)旗本、木原家名主、栗田源左衛門政春等により101両を投じて再建されたことが、棟札、古文書に記されている。天明の飢饉の折、御神威の発揚で飢饉を乗り越え民心を引き締め、神社では粥を振る舞い、村内の被害はわずかに終わり、これも五社明神のおかげと益々崇敬されたと伝わる。
明治6年村社に列し、昭和46年屋根銅板葺替工事、昭和56年〜62年、神社本庁振興対策指定の折、社殿一部改修、手水舎新築等行い、平成12年神輿の再建、平成20年社務所の改築を行った。
境内由緒書き より。

神社入口

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(昭和7年(1932)9月29日建立)

本殿


境内社

庚申塔

石碑

神輿