比々多神社

伊勢原市上粕屋1763-1 (平成22年5月2日)

東経139度16分58.9秒、北緯35度24分45.9秒に鎮座。

この神社は、小田急線・伊勢原駅の北西3km程の辺り、大山阿夫利神社へ向かう道にの右側に鎮座しております。昔は車道がこの神社の前までしか通じておらず、この神社の周辺には旅館が立ち並び、大山参りの参詣客で賑わったという。交通が便利になったのは良いが、首都圏からこの辺りに来る人の大半は日帰りで旅館を利用する人は少ないと思われます。

この神社は地元では『子易明神』と呼ばれ安産祈願には欠かせない存在です。小さな神社ですが拝殿の床柱を見ても判るとおり安産祈願の方は多いのでしょう。私も後30年若ければお願いしていた所なんですが・・・。
御祭神は神吾田鹿葦津姫命(木花咲耶姫命)です。社伝によると創建は「天平年中(729ー749)、当国守護の任にありし染谷太郎時忠が当国安土・子宝を願い勧請す」とあります。その後奥方が妊娠し、その霊験あらたかということになり、神号を「易産大明神」「子易大明神」と称え、安産守護神として崇敬されてきました。

御祭神 神吾田鹿葦津姫命、又の御名木花咲耶姫命
例大祭 七月十五日
御神徳
「天平の頃、当国守護の任にありし染谷太郎時忠(藤原鎌足の玄孫で関東総追捕使)が当国安土(安堵?)・子宝を願い勧請す。後、その内室懐胎に及び、信仰益々篤く、ひたすら安産の祈祷奉るに忽ち霊験現る。依って、社頭以下設備怠りなく造営す。」と伝う。後に、醍醐天皇の勅願所となり、神階・御告文その他旧記等宝殿に蔵せられしが、天正十八年小田原落城の折り惜しくも亡失す。爾来、神号を「易産大明神」又は「子易大明神」として称え、朝野の別なく尊信極めて篤く、安産守護神として崇敬される。
境内由緒書より。原文はこちら。

社号標と神社入口。安産守護の下には何の文字が彫られていたのでしょうか。ひょっとすると「式内社」かも。

延長5年(927年)に成立した『延喜式神名帳』には、相模国大住郡の小社4座の1つとして「比比多神社」が記載されているが、『新編相模国風土記稿 巻之50』[2]によれば、当社の他に上糟屋村の子易明神社も式内社「比比多神社」と言い伝えているのだと言う。同書では、当社宮司が語ったところとして、「比比多神社」と書かれた古額があったのを子易明神社の神主に貸したところ終に返さず、子易明神社にこれを掲げて式内社と称したとの話を紹介しているが、この話に証拠は無く、さらに当社も子易明神社も式内社「比比多神社」である考証は無いため、どちらが式内社であるか是非は弁じ難いと同書では述べている。
『ウィキペディア(Wikipedia)』三ノ宮比々多神社のくだりより。

参道

境内入口の岡崎型狛犬

(平成12年(2000)7月建立)

境内

拝殿

向拝の柱

拝殿内部

拝殿奥の神殿狛犬

板絵著色歌川国経筆美人図絵馬。説明はこちら。

絵馬

本殿


天満宮・熊野社/稲荷社/粟島社・八雲社/日吉山王宮

常夜灯の狛犬。拡大写真はこちら。

(明和5年(1768)戊子6月建立)

御神木