平塚市夕陽ヶ丘60ー27 (平成22年5月2日)
東経139度21分42.42秒、北緯35度19分18.55秒に鎮座。
この神社は、JR平塚駅南東1km程の辺り、平塚の市街地に鎮座しております。参道脇には三嶋公園があり、境内にも氏子さんでしょうか、お茶を飲みながら談笑する人達であふれ、地域の拠り所となっているようです。
祭神 大山祇命・言代主命・大山咋命・闇龗(くらおかみ)神
神奈川県神社庁公式サイトより。
御創建の年代は、この須賀の地に我々の先祖が始めて足を踏み入れ漁業を中心とする生活基盤を開拓された時代の頃と思われます。史書によると、平安時代のはじめ当地は「須賀のから浜」と呼ばれ、当神社の別当寺であった長楽寺の古文書には「薬師、三嶋明神の本地仏也、長 一尺五寸、弘法の作と伝」と記してあります。
戦国時代の永禄九年(1566)には、小田原北条氏より手厚い保護を受けて生活物資の集散地として栄え、江戸時代には、須賀は漁業・開運業・商業の要所として急速に発展し、江戸半ばから須賀千軒といわれるほど人家が増え、相模国の開運・海路の玄関口としてたいへんな振る舞いを見せました。また、伊豆や房総の人々を始め、海路での大山参りの人々は須賀港着くと必ず当神社に参拝し、道中の守護と無事を祈願することが慣わしでもありました。
境内由緒書より。原文はこちら。
通称を須賀の明神さまと云い、神社前のバス停も「明神前」となっています。嘗てはこの神社の門前町で明神町といった名残のようです。
社号標と参道入口。左手には三嶋児童公園と書かれています。
一の鳥居
参道右手の弁天社
二の鳥居
境内
境内入口、厚化粧がやや気になる狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)
拝殿
拝殿内部
本殿
えびす様
疫神社
伊邪那岐社
石碑や石祠
絵馬