平塚市豊田宮下550 (平成22年5月2日)
東経139度20分0.44秒、北緯35度21分18.9秒に鎮座。
この神社は、相模平野のほぼ中央部、豊田小学校の西隣りに鎮座しております。我々が参拝に訪れた日は校庭で野球大会が行われており、父兄の車が参道に留められていました。
祭神 誉田別命・護良親王
由緒書は無く、また、神奈川県神社庁公式サイトにも御祭神と例祭日の記述しか無く、詳細は不明です。
護良親王(もりよししんのう/もりながしんのう)、延慶元年(1308年) - 建武2年7月23日(1335年8
月12日)は、鎌倉時代後期から建武の新政期の人物。後醍醐天皇の皇子、母は源師親の娘親子。妃は北畠親房の娘。また公家の藤原保藤の娘である南方(みなみのかた)。大塔宮(おおとうのみや)と呼ばれた。
『ウィキペディア(Wikipedia)』より。
親王は政争に敗れ、鎌倉二階堂ガ谷の東光寺に幽閉される。その後、足利直義の命を受けた淵辺義博に殺害される。その東光寺跡には護良親王を御祭神とする、鎌倉宮があるが、如何なる縁でこの地に祀られているのでしょうか。
鳥居。額は「八幡神社」。右手は豊田小学校校庭。
神社全景。社号標は「豊八幡大神」。
拝殿
拝殿の彫刻
本殿
石祠
招魂碑