白旗神社

藤沢市藤沢2-4-7 (平成23年5月1日)

東経139度28分54.76秒、北緯35度20分50.08秒に鎮座。

【神社情報・剣貝さんより】
JR東海道線「藤沢」駅で小田急江ノ島線に乗り換えて一駅のところにある「藤沢本町」駅から商店街を抜けて徒歩7分の所に鎮座しています。境内の鯉のぼりと藤の花が大変綺麗でした。

由緒
古くは相模一の宮の寒川比古命の御分霊を祀って、寒川神社とよばれていた。しかし、創立年代はくわしくはわからない。
鎌倉幕府によって記録された『吾妻鏡』によると、源義経は兄頼朝の勘気をうけ、文治五年(1189)閏四月三十日奥州(岩手県)平泉の衣川館において自害された。その首は奥州より新田冠者高平を使いとして鎌倉に送られた。高平は腰越の宿に着き、そこで和田義盛・梶原影時によって首実検が行われたという。伝承では、弁慶の首も同時におくられ、首実検がなされ、夜の間に二つの首は、此の神社に飛んできたという。このことを鎌倉(頼朝)に伝えると、白旗明神として此の神社に祀るようにとのことで、義経公を御祭神とし、のちに白旗神社とよばれるようになった。弁慶の首は八王子社として祀られた。
境内由緒書より。

御祭神 寒川比古命・源義経公
配神 天照皇太神・大国主命・大山祗命・国狭槌命
御由緒
往昔一ノ宮寒川神社を勧請し建久九年荘厳寺住僧覚憲別当となる、文治五年源義経奥州にて敗死し、其の首を黒漆櫃に入れ、美酒に浸し持ち来り腰越の里にて和田太郎義盛、梶原平三景時甲直垂を着け甲冑の郎従二十騎を相具して首実検をなし此の地に埋めたり、斯る実事に基きて宝治三年丁丑九月義経を合せ祀る、社前領家町に首塚、首洗井あり享保三年紀州公姫君参勤交代の砌此の陣屋に於て急に腹痛を起し大神に祈願せし処忽に全癒す、木杯一個紋章幕、高張を奉納し例祭には十万石の格式有と伝ふ、享保四年十二月二十一日神祀官領従三位吉田兼敬公より正一位階を授く。宝暦二年社殿を再建し旧坂戸町総鎮守となし白旗神社と称つ、文政三庚辰年二月八日火災に罹り社殿及古書類等を焼失す、文政十一子年六月より天保六乙末年冬に亙りて社殿を再建し現在に至る。
神奈川県神社庁 神社詳細  より

遠景

神社入口と大鳥居

手水舎

参道階段

参道石段脇の狛犬。拡大写真はこちら。
年代は不明なようですが、古い神殿狛犬を模して平成に造られたのかと思います。

参道階段

石段上の江戸流れ。拡大写真はこちら。
(昭和2年(1927)2月吉日建立)

拝殿

祝詞を奏上する神職さん

本殿

神輿殿

境内社・共に稲荷社

庚申塔と道標

弁慶の力石

源義経公鎮霊碑

御嶽山石碑

芭蕉句碑「草臥(くたびれ)て宿かる心や藤の花」

弁慶藤

境内