厚木市小野428 (平成22年5月2日)
東経139度19分19.6秒、北緯35度25分44.93秒に鎮座。
この神社は、小田急線・愛甲石田駅の北西4km程の伊勢原に近い小野の集落に鎮座しております。
この神社は、延長五年(927)の「延喜式」巻九に「相模国式内社の愛甲郡一座小野神社」と書かれています。
現在の拝殿は、嘉永元年(1848)に建てられ、わら葺屋根でありましたが、昭和四十三年に鉄板葺に替えられました。本殿は拝殿よりも一メートルほど高い地面に神明造りで造られて射ます。「新編相模国風土記稿」に「閑香明神社、村の鎮守也。延喜式に載りし小野神社、当国十三社の一にて祭神下春命という」とあります。
明治時代になってから、この神社の祭神には日本武尊も加えられました。それは日本武尊が東国の賊の征伐に向かった際、野火の焼きうちの苦難にあうという「古事記」の記述の地が「小野」と関係するとして祭神に加えたもののようです。
この神社は建久五年(1194)愛甲三郎によって再興されたとも言われています。愛甲氏の本家の横山氏は、小野妹子の子孫と伝えられ、愛甲氏の家系の信仰は厚く、特に江戸時代には、愛甲姓の武将の参詣が記録されています。
厚木らしさの創造推進事業玉川地区協議会。原文はこちら。
小野村について『新編相模国風土記稿』は『古事記』記載の日本武尊が、相模国で国造の焼討ちに遭った「佐賀牟能遠怒」(サガムノオヌ)という所を小野村の遺称かと記し、また、村の鎮守「閑香(かんか)明神社」を『延喜式』記載の相模国十三社の一社「小野神社」とし、祭神は下春命(したはるのみこと)としている(現在は日本武尊命)。別当は本山修験の光玉山大鏡院(明治初年廃寺)であった。阿羅婆娑枳(あらはばき)と春日の二社を相殿とし、末社は第六天・稲荷・淡島・金毘羅・山王の五社を祀る。
あつぎの文化財獨案内板より。
由緒に村の鎮守「閑香(かんか)明神社」と書いてあるが、古くは「あいこう」とも読み郡名の「愛甲」のことかと思われます。嘗ては愛甲郡の総鎮守であったのでしょうか。
神社入口
境内。社号標には「延喜式内社 小野神社」。
拝殿
注連縄
本殿
八坂神社・春日、淡島神社・阿羅波婆枳神社・日枝神社、古登比羅神社・稲荷神社
稲荷神社
社殿の再建にあたり古い物をここに纏めたようです。社号標には「当国十三社式内 小野神社」と書かれています。