小町神社

厚木市小野 (平成22年5月2日)

東経139度19分12.14秒、北緯35度25分58.78秒に鎮座。

この神社は、小町緑地と呼ばれる公園の中、北側の小町山山頂に鎮座しております。山頂と言っても、駐車場から数分の距離。桜の咲く頃、散歩を兼ねて参拝するのも良いかと思われます。また、30歳以下の男女に限り、白髪が黒くなると言う御利益があるそうです。しかしこれでは髪の毛でお悩みの人の大半は救われない。高齢化社会の我が国の現状を鑑み、せめて45歳位に引き上げてくれないものでしょうか。

小町神社
平安時代の歌人として、また美人として有名な、小野小町の出生地と言われています。これが小町姫を祭る小町神社です。毎年四月二十一日が祭日になっていて、かつては近在からの人出で大いににぎわったようです。
鎌倉時代、源頼朝の側室丹後の局は頼朝の子を身ごもったことから、政子に恨まれて処刑されそうになりました。それを命じられた畠山重忠(鎌倉初期の武将)の家人本田次郎が心をひるがえして局を連れて、難波(大阪)へ逃げるという事件が起こりました。しかし、一説では、地元の豪族 愛甲三郎季隆が局をかくまって、この山里に住まわせたと言い伝えられています。丹後の局は政子の恨みのためか、精神的苦しみからか、今までの黒髪が一夜にして老婆のような白髪に変わってしまいました。非常に悲しんだ局は小町神社の祭神の小町姫にお願いをして数日間祈願を続けたところ、不思議なことに、白髪がまた元のように黒髪に戻りました。それ以来小町神社には、絵馬をあげいろいろな願いを込めて参詣する女の人が多くなりました。
厚木らしさの創造推進事業玉川地区協議会。

小町神社縁起
この小町神社は、その昔鎌倉時代丹後の局という世にもまれな美人がおり、ひそかに源頼朝のご寵愛を受け終に局は身ごもりました。これを知った婦人政子は大変ねたみ、畠山重忠に局を由比ヶ浜で首をはねよと命じました。重忠は家臣の本多次郎に命じ局を浜へ伴い殺そうとしましたが、局の身を哀れみ身代わりを立てその場をつくろい、乳兄弟で小野の住人川上酒匂の屋敷にかくまい局を助けました。然しいつとはなくその事が政子の耳に入りその怒りは骨髄に徹する程厳しく、局は俄かに白髪の姿になってしまいました。局は心を静め考えた末「俤のかわらで年の積れかし、たとえ命に限りあるとも」という古歌を短冊に書き心身を清め十七日間一心に小町姫を祈った処、満願の日に元の黒髪に戻りました。局は霊験の尊さを感じ小野の林中に小町神社を建てました。それ以後三十歳以下の男女で白髪の人が心厚く小町神社へ祈ると黒髪に変わり、遠方の人々も参詣に来る様になりました。その後局は泉州住吉で玉の様な男子を生みました。その子が後の薩摩の島津家の祖先だと人々は伝えています。
伝者 別当 小野山宮野院

由緒書原文はこちら。

小野小町誕生の地は日本全国にあるが、ここも伝説の一つなのでしょうか。しかし地元には「小野小町研究会」なるものもあり、小町伝説の収集に努めているようです。

参道入口

参道

山頂下に立つ鳥居

拝殿

本殿

小町塚

小町竹

片葉松跡

小町化粧池