子之神社

足柄下郡湯河原町福浦129(平成18年11月11日)

 この神社はJR東海道本線・真鶴駅から福浦漁港に向かって建て込んだ家々の間の狭い道を下ると、醍醐院というお寺の左脇に階段の参道が見えます。階段を少し上がると社号標と鳥居が建ち、参道踊場には祈りの石(美女石)という安産子授け、大漁祈願の霊験もあらたかであると云われる霊石が置いてありました。その左上の境内には藁葺き屋根の素朴で存在感のある彫刻が施された拝殿が建ち、覆い屋の中の本殿は檜皮葺流造だそうです。この日は拝殿内で神事が行われていたので、写真撮影はできませんでしたが、拝殿には町指定 文化財で天保時代の女性絵師・八十島文雅らによる素晴らしい出来映えの花鳥獣魚の格天井絵が描かれています。又、境内には太めの狛犬が多いこの地域でも更に上を行く、存在感、ボリューム感たっぷりの江戸型狛犬がデ〜ンと構えていました。
 案内板がありますが判読が難しいので、子之神社公式HPより下記御祭神、由緒などを転載しました。
 古神道本宮 奥の院
 関東最古 子授け子育ての神
 古神道 相承斎宮
 主祭神:大己貴命、幽斎神:素戔嗚尊、天照国照彦天火明櫛甕玉饒速日尊、当社・鈴木穂積宮司家の祖先神・日本武尊、熊野三所大権現(家都美御子大神、速玉之男神、熊野夫須美大神)、天地坐八百萬神
 境内社:淡島神社,龍神社
 由緒:創建は大変古く、平安時代中期の天暦7年(953) 〔一説によれば、天慶8年(945)〕、当時荒井の里と呼ばれた当地で、 夜毎、海が黄金色に輝くという不可思議な出来事が続きました。
 そこで、里の中でも長老として尊敬を集めていた村人が、意を決しその場所に近付いてみますと、 海上に突き出た大岩の根に、一艘の船が乗り上げていました。その船の中をのぞいてみますと、尊い大神がお乗りになっていましたので、その村人は大神をお迎えし、 当地の鎮守としてお祀りしたのが、子之神社の創まりと伝えられ、その村人の名を鈴木善左衛門と云い、 当社の初代神主となり、それ以来、当社の宮司は鈴木穂積家が継承されています。
 また、源義家公やその家人荒井刑部實継公一党の崇敬が篤く、源頼朝公も当社を崇敬したと云います。

参道入口の階段 社号標「村社 子之神社」
神社入口 藁葺き屋根の素朴で存在感のある拝殿
 文久3年(1863)生まれの、これまた存在感、ボリューム感たっぷりの江戸型狛犬。
どちらがどちらの狛犬担当か分かりませんが、
安五郎・福次郎という二人の石工さん製作のため、
左右の狛犬の体型が大分違って見え、特に左は、遠くからだと岩の塊のような感じで、
身体の中に顔が埋まってしまったように見えます。
双方吽で右の子狛は親の鬣を、左の子狛は親の尻尾を囓って遊んでいます。
彫りが深く、毛足の長い鬣をしています。
この狛犬達、普通サイズで決して大きくは無いのですが、
その存在感のアピールは人並みはずれたものがありました。
 
 
 
 
 
(石工・一品村 安五郎 福次郎  文久3年(1863)6月吉日建立)
拝殿挙鼻の玉を持つ龍。頭貫の双龍は子供たちなのでしょうか?
拝殿木鼻の狛犬と象
 
拝殿正面欄間の中国故事を扱った彫刻
拝殿脇障子の透かし彫り彫刻
 
本殿覆い屋と神輿倉?
普通は見られませんが、
本殿は檜皮葺流造だそうです。
境内社・龍神社
境内社・淡嶋神社 拝殿脇のガラス越しに御神輿が
見られるような配慮がしてありました。
殆どが稲荷社の末社群 祈りの石(美女石)
参道踊場には、「往古より当地に鎮まり人々の諸々の願い事を叶える霊石と云われ、特に祈願する者が夫婦なればそろって本社に参拝した後、夫がこの石をまたげばその夫婦には安産子授け等の霊験が授けられると云われる、また大漁祈願の霊験もあらたかであると云われる。」と案内付きの霊石が置いてあります。もちろん私も、夫に跨いで貰いましたが「今から子作りしてどうする?30年遅かったな。」と言われてしまいました。
末社・稲荷社前の小さな狐さん親子。
右は授乳中で、左の子は親の背中で安心して遊んでいる…という感じに見えます。

お隣の醍醐院にも素晴らしい彫刻があったのでご覧下さい。
本堂正面の竜虎の戦い
迫力満点の木鼻狛犬と象
 

狛犬の拡大写真はこちらで