五所神社

足柄下郡湯河原町宮下359-1(平成19年10月6日)

 この神社は湯河原小と東海道新幹線に挟まれた形で、75号線沿いに鎮座しています。「明神の楠」案内によると嘗ては広大な社地を有する社だったようですが、現在周辺は宅地化され、数多くの楠の巨木が生い茂った参道は削られ「明神の楠」一本だけが残された状態で、道路を挟んだ境内には未だ古木が数本残されてはいるものの、往時をご存知の方には淋しい限りの状態となっている事でしょう。
 けれど流石に由緒ある旧郷社、境内、社殿など綺麗に整備され、現在も篤い崇敬を受けているようで、夕暮れ時にもかかわらず、私達の他にも参拝の方達がいらしていました。

 御祭神:天照大神、天忍穂耳尊、瓊瓊杵尊、彦火々出見尊、鵜葦草葺不合尊、誉田別尊、素盞嗚尊、伊弉諾尊、伊弉册尊
 例祭日:歳旦祭(元旦祭)・1月1日、節分祭(豆まき)・2月3日、紀元祭・祈年祭(春まつり)・2月11日、例大祭・8月1日、例大祭(神幸祭)8月2日、新嘗祭(秋まつり)・11月23日、大祓式(茅の輪くぐり)・12月31日 、月次祭・毎月1・15日
 境内社:湯河原頌徳社、山神社
 由緒:社伝によれば、今から1300年前天智天皇の御代、加賀の住人二見加賀之助重行らの手によってこの地方が開拓されたとき、土肥郷(吉浜、鍛冶屋、門川、堀ノ内、宮上、宮下)の総鎮守として、天照大神以下五柱の神霊が鎮座されたと伝えられています。
 治承4年(1180)8月、源頼朝伊豆より挙兵の時、この地方の豪族土肥次郎実平は一族と共にこれを助けて頼朝の軍を土肥の舘に導き、石橋山合戦進発の前夜は社前において盛大な戦勝祈願の護摩の灯をたいたといわれています。以来、土肥一族をはじめとして、藩主、領主、庶民の崇敬が篤く、長寿長命の神、湯の産土神として現在に至りました。
 明治6年村社に、大正4年神饌幣帛料供進社に、昭和19年郷社に列しました。

道路を挟んで向かい側にある町指定天然記念物「明神の楠」です。
太い幹周の割には樹高は低く、裏側に廻ると空洞があり地蔵尊が祀られています。説明板によると「昔の神社の境内は広大で参拝者は150m程南の千歳川の清流で禊を行ない、この「明神の楠」の下を経て神社に参拝していました。その頃、参道には数多くの楠の巨木が生い茂っておりましたが、現在はこの一樹のみが歴史の跡を物語っています。」とあります。
樹齢約800年、根回り・15.6m 、樹高・15m
史蹟「明神の楠」案内 拡大写真はこちらで
神社入口 社号標
境内の様子 参道の二の鳥居
大正4年(1915)生まれの狛犬
阿は玉を持ち、吽は角付きで子を連れています。岐阜、滋賀辺りで時々見かける、横広顔で、鬣・尾が派手で装飾的な、滑らかな体つきの狛犬と同系統です。鬣が頭の後ろの一点に向かって流れているのが斬新です。
狛犬の拡大写真はこちらで
(大正4年(1915)11月建立)
拝殿
拝殿内の様子

本殿 境内社・山神社
町指定天然記念物・大楠
本殿の階段下に聳える巨木で幹の太さが高いところまであり、樹勢のある実に堂々とした楠です。「神奈川名木百選」に選定されています。
 樹齢約600年、幹周・8.2m、樹高・36m
町指定天然記念物・大銀杏
東南隅の道路端に聳えています。樹高は低いのですが幹が太く、傾きが酷くなったためか支えが付いています。非常にどっしりとして重量感のある幹部分です。
樹齢約800年、幹周・8.8m、樹高・25m