神貫(かみぬき)神社

垂水市新城3299 (平成27年3月1日)

東経130度45分13.17秒、北緯31度25分52.52秒に鎮座。

この神社は、垂水市役所の南南東8km程の辺り、鹿屋市境に近い新城の街外れに鎮座しております。

御祭神  伊弉冉命・建御名方神・事代主神・倉稲魂神・大山祇神・菅原道真・速玉男神・事解男神

由緒
古代、神木大明神と称され、神木村の隼人が氏神として祀ってした。御祭神(神木大明神)は火照命(海幸彦)と伝えられ、社領は今の垂水市全域に及んでいたと云われる。昭和27年(1952)宗教法人法による届出の際、伊弉冉命を主祭神とした。
養老4年(720)大隅隼人と大和朝廷の抗争があり、神木村も多くの犠牲者を出した。延暦2年(783)、伊予守橘朝臣清次が社司として奉斎した。隅府温古集によると、平安時代当神社と手貫神社との間に社領地の争いが起り、手貫神社側が開聞九社に援軍を求め、鹿児島神社が加勢したため当神社は敗れ、以来社領地は新城だけとなった。
社殿建立の記録として、応永2年(1395)8月28日造立(領主肥後氏)の棟札、享禄3年(1530)霜月16日造立(伊地知重武)の棟札、永禄6年(1563)の棟札(伊地知重興)がある。なおこの頃、社名が神木より神貫に改められた。
明治42年(1909)4月28日無格社黒石田神社外五社を、同年5月4日無格社鎮守神社外二社を合祀した。その後、昭和12年(1937)2月火災により社殿が全焼し、同14年(1939)再建、同46年(1971)改修、同59(1984)年補修して現在に至る。
鹿児島県神社庁公式サイト より。

境内由緒書きはこちら。

参道入口

参道

手洗い鉢

拝殿

眠り猫

拝殿内部

本殿


石祠

御神木

招魂墓と慰霊碑