曽於市末吉町諏訪方10241 (平成27年2月27日)
東経131度00分08.76秒、北緯31度39分39.24秒に鎮座。![]()
この神社は、曽於市役所の北西2.5km程の辺り、501号線脇のグラウンド奥に鎮座しております。
御祭神 源義経尊
由緒
源五位尉義経尊は源左馬頭義朝公の第九子に生れ給い、平治の敗に死を免れ京都鞍馬寺座主に師事し修業し給ふ。短小勇悍早足趫捷飛越人間業とは見えられ給はじと、座主髪を剃り給へと勧むるも聴き給はず。陸奥鎮守将軍、藤原秀衡公の許にて成人し兵略を磨き給ふ。兄征夷大将軍源頼朝公治承4年(1180)平家追討の籏を擧げ給ふや、将となり兄を扶け平氏を壇の浦に滅し、國乱を定め朝廷の寵愛厚く、仁政を敷き京都遠近平穏に期し、家恥を雪ぎ、遠大なる素志を抱き給いしも、讒せられ中途にて挫折し給ふ。尊の智勇と徳を頌へ、皇位160代正親町天皇在位薩摩藩主島津義久公統治の折り、領主及邑人五位山に尊の霊を鎮座崇敬し今日にいたる。
天正3年(1576)藤原時久建立の棟札を蔵むと云う。・・・・
境内由緒書き より。
一の鳥居
神社遠景
二の鳥居
| 境内入口左右の末社 | |
拝殿
本殿覆屋
本殿