田ノ浦山宮神社

志布志市志布志町田之浦559 (平成27年2月27日)

東経131度07分59.63秒、北緯31度33分24.71秒に鎮座。

この神社は、志布志市役所の北13km程の辺り、志布志町田之浦という長閑な山間部に鎮座しております。

御祭神 天智天皇

合祀祭神 弥都波能売命・天智天皇廟

由緒
当社は、天智天皇の命により、天皇の廟(墓)を建て祭ったことに始まる。かって、天智天皇は、薩摩国頴娃開聞(今の開聞町)に行幸された。
その途中、志布志町安楽の船磯という所(安楽川の川口)に御着きになり、開聞の場所を確かめるため、土地の人の案内で、今の御在所岳の頂上に登られ、はるか彼方の開聞の地に、天智天皇の侍女・玉依姫(薩摩の国頴娃の人)を訪ねてゆかれた。しかし、四ケ月のご滞在の後、都への帰路につかれ、再び志布志にお立寄りになった。
玉依姫との別れが忍び難い天皇は、開聞の地をながめられる御在所岳の頂に登られ、遠く玉依姫のことを偲ばれたのである。
天皇は、「自分が死んだ後は、この頂に廟を建てよ」と土地の人々に命じになり、都へとお帰りになった。
土地の人々は、天皇崩御の後、和銅元年(708年)6月18日、御在所岳の頂上に神廟を建てて、山宮大明神と呼んで斎(いつ)き祭った。
しかし、大同2年(807年)6月1日、開聞岳が見えて崇(たた)りがあるということで、御在所岳の麓(現在の地)へ遷宮して祭るようになり、以後人々の崇拝を受け今日に至っている。
由緒書き より。

参道入口

参道

参道脇の随身様

拝殿

本殿


田之浦の六地蔵

力石