大隣神社

南九州市知覧町塩屋(平成22年1月5日)

東経130度22分18.8秒、北緯31度17分32.22秒に鎮座。

 この神社は大隣岳西山麓に鎮座しています。とても広い参道脇には、縄文時代早期(約7000年前)の調理場跡「登立遺跡・集石遺構」が復元されています。古代史や古代遺跡が大好きな私には、とても興味深い遺跡でした。深い森の手前に朱の鳥居が立ち、綺麗な紅白の入母屋造りの社殿内に本殿が二棟建立されていました。又、境内左には末社も二社祀られています。

 御祭神:豊玉姫命
 祭礼日:旧11月16日
 境内社:二社
 由緒:元享4年(1334)平忠世和与状中に世々明神とある。
 昔、現在の大隣岳が瀬世岳といった時代におそらく瀬世岳という山そのものを御神体として出発した神社であろう。元享時代開聞神社末社・中宮大明神、知覧下部の豊玉姫神社の支配下にあって世々明神であると記録にある。
 不思議な事に此の神社はその時代時代により神社名を変えている。寛文5年(1665)の棟札に初めて稲荷大明神となるが、元禄12年(1699)には単に明神、宝暦6年(1756)には又稲荷大明神、寛政4年(1792)には又明神、文政7年(1824)には元もとの稲荷大明神となるが、明治5年に稲荷神社となり、昭和19年、37年には又明神、明神殿となり、今日此の神社の元もとの稲荷大明神は忘れられ、現在も単に明神殿といっている。
 知覧町内にある神社の中で中宮大明神、豊玉姫神社の次に古い由緒を持つ神社である。

神社遠景
参道左側にある「登立遺跡・集石遺構」
集めた石を熱し、その上に獣や魚などの肉を乗せ、蒸し焼きにするための、縄文時代早期(約7000年前)の調理場です。
社頭
入口の鳥居
拝殿
本殿二棟
末社二社 御神木