南九州市川辺町宮4778(平成22年1月5日)
東経130度23分36.21秒、北緯31度22分33.39秒に鎮座。
この神社は263号線東の万之瀬川南に鎮座しています。道路上に建つ一の鳥居から境内までは100mほどあり、神社に近付くにつれ県下第三位というこの社のシンボルでもある大楠の姿が、二の鳥居右に見えてきます。樹齢1200年ともいわれる大楠は三度も落雷の被害に遭い、樹勢が衰退したために国指定天然記念物から県指定天然記念物へと変更になった経緯を持つそうです。現在は幹が二つに分断され大きな空洞を抱えた姿で立っていますが、保護の成果が上がってきたのでしょう、枝先には沢山の葉を付け、樹勢は回復しつつあるように見えます。
神社入口には左右に門守神社が祀られ、二の鳥居を潜ると境内となるのですが、二の鳥居も大楠への落雷時に被害を受けたのでしょう、笠木や柱など所々黒く変色しています。清々しい感じの境内を奥に進むと、入母屋造り唐破風付きの大きな拝殿が建っていますが、その軒下には中国的な狛犬がいます。子狛を抱いているようにも見えるのですが、摩耗が激しく定かではありません。塀内に建立されている妻入りの本殿は大きく立派です。
御祭神:東宮・大綿津見命、中宮・玉依姫命、西宮・食飯魂命
祭礼日:1月1日・歳旦祭、1月4日・元始祭、1月7日・七草祭、2月・例祭、2月11日・建国祭、2月11日・祈念祭、5月6日・児童福祉祭、7月10日・御田植祭、8月7日・七夕祭、10月17日・神嘗祭、11月23日・新嘗祭、12月30日・大祓祭
境内社:淡島神社、門守神社
由緒:古くは宮村高田村の産土神であると共に川辺郷の総鎮守でもあったが、明治5年社格を定められるに当り、川辺郷の郷社に列せられ、昭和13年5月3日県社となった。
慶応4年(1868)の川辺神社取調帳によれば、和銅年間の創設とあり、当時は現位置より南西約2kmの飯倉山上に鎮座されてあり、寛元5年(1247)加世田郷宮原村の一社と阿多郷宮崎村の一社とを合祀して現位置に遷座したものと伝えられる。
この神社が飯倉山上にあ社号を何といったか不明であるが、現位置に遷座してからは、飯倉新宮三所大明神と改め、略して飯倉大明神ともいった。明治4年5月神社班位を定めるに当り、食飯魂神社と改称されたが、昭和12年9月13日社名を飯倉神社と改められた。
参道入口に立つ大鳥居 | |
参道の様子 | |
社頭 | |
神社入口の二の鳥居 | 社号標 |
門守神社 | |
参道・境内の様子 | |
手水舎 | 境内社:淡島神社 |
拝殿 |
拝殿軒下にいる小さな狛犬 元々は何処にいたのでしょう?中国狛犬のように見えますが、摩耗が進んで吽は殆ど石の塊のように見えます。かろうじて顔つきの分かる阿は笑っているようで、腕に抱える子狛をあやしてでもいるようです。想像逞しくすれば、吽も子狛を抱きかかえているように見えます。今は軒下で大事に保護されていますから、これ以上の風化は無いでしょう、一安心です。 狛犬の拡大写真はこちらで |
|
本殿 |
拝殿左脇にある神饌殿? | 末社 |
県指定文化財・川辺の大クス 「宮の大クス」とも呼ばれ鹿児島県内でも蒲生の大クス・志布志の安楽の大クスに次ぐ巨樹です。 推定樹齢・1200年、根回・25m、目通周囲16m、高さ・13m 大クスの拡大写真はこちらで |
|