今嶽神社

枕崎市下松町(平成22年1月5日)

東経130度21分26.85秒、北緯31度18分14.9秒に鎮座。

 この神社は下山岳(さがやまだけ、標高416m)南南東麓に鎮座しています。というわけで社地は山裾特有の緩やかな傾斜地が、そのままの状態で保存され、鎮守の杜は杉の人工林と自然林が混じり合った状態でした。
 入口の鳥居は巨樹の中に切り開かれた石段参道入口に建てられ、境内にはコンクリート造りの拝殿と本殿が建立されています。拝殿の軒桁には卍が描かれており、かっての呼称「下山蔵王権現」の通り、神仏混淆の権現様であったことを物語っています。

 御祭神:建小広国押楯命
 祭礼日:11月15日
 境内社:一社
 由緒:本社の祭神は、建小広国押楯命と申して第二十八代の宣化天皇に当らせられる。尊の御方を御祭神と崇め奉っている。 今から約1390年の昔、命が西国五巡圭の途中、たまたま海上で風波の為離船し給い、かろうじて其の後座船が大島に漂着した。島人はかかる尊の御方を此の様な僻遠の地に寔に畏れ多いと言って、命を奉護して船で都へ御送り申し上げた。其の途次、命は今の板敷の唐の浜という所に御到着になった。部落民は命を心から御迎え奉り、其の所から北へ約20余町離れた今の俵積田の地に御殿を御設営申し上げた。今も其の所を木花御殿跡と呼んでいる。程なく命はここで御崩御なされたので、部落民は大変悲しんで、命の御徳を慕い御英霊を今嶽の絶頂に奉鎮申し上げたとの事である。
 其の後約千年を経て、旧領主喜入家5代の祖喜入摂津介秀久殿が、島津修理太夫義久公に仕え、多年の戦功に依って鹿篭を領地として附興せられたので、天正6年(1578)12月、即ち今から360年前、神域として是に床しの唯今の地に寝殿を造営し、ここに御遷座申したものである。
 本社は従来蔵王権現宮と申して来たが、明治5年に今嶽神社と改名し、さらに明治28年1月に社寺明細帳に編入の儀が許され、以来村社として今日に及んでいる。
 毎年11月15日を以て例祭としている。当日は小学校全児童は勿論一般部落民他郷からの参拝者も多数である。

「今嶽神社由緒碑文」はこちらで

社頭
入口の石鳥居
石段の参道の様子
境内入口
拝殿
本殿
末社
鎮守の杜
参道・境内のスダジイや楠の巨木の写真はこちらで