石體(いわた)神社

霧島市隼人町内 (平成22年1月8日)

東経130度44分34.80秒、北緯31度45分07.68秒に鎮座。

 この神社は鹿児島神宮摂社です。鹿児島神宮社頭から川沿いに右に行き、市立隼人歴史民俗資料館前を通り、尚も150mほど進むと、左手の神橋を渡った先の森の中に鎮座しています。社号標には「安産守護」と書かれ、私も妊娠中にお世話になった「岩田帯」はこの社が発祥とは知りませんでした。
 大隅国一之宮・鹿児島神宮のかつての鎮座地でもあり、それ以前は天津日高彦穗穗出見尊が都とした「高千穂宮」がおかれていた場所と伝えられているそうで、参道脇の苔むした巨石や深い森は遥か古の物語を彷彿とさせ、柄にもなく古代への想いを膨らませてくれました。

 御祭神:天津日高彦穗穗出見尊、豊玉比賣命
 由緒:当石體神社の位置は御祭神天津日高彦穗穗出見尊、豊玉比賣命が都として高千穂宮を経営された正殿の在った所で、そのまま社殿として祀ったもので鹿児島神宮の起こりでもあります。
 和銅元年(708)現在の鹿児島神宮の位置に遷り、その跡に社殿を造ったのが石體神社であります。
 御妃は御子鵜鴎葺不合尊を鵜の羽根で葺く産床の葺き終えないうちにお産みになった程お産の軽かった方で、その御神名よりして伺えます。現在本殿の前の石塔に小石が沢山ありますが、御神体の代わりにその一つを頂いてお産後は一つ加えてお返しする慣習があります。岩田帯はこの石體神社より出た言葉という説があります。

神社遠景
社号標
社頭
入口の鳥居
参道の様子
参道途中にいる中国狛犬
拝殿
安産祈願のため、御神体の代わりにこの小石を一つ頂いて
お産後に一つ加えてお返しする慣習があります。
本殿