鵜戸(うど)神社

鹿屋市吾平町麓3579 (平成27年3月1日)

東経130度53分59.88秒、北緯31度19分37.81秒に鎮座。

この神社は、鹿屋市役所支所のすぐ南側に鎮座しております。

御祭神 鵜茅葺不合命・玉依姫命

由緒
昔、鵜戸六所権現、鵜戸権現、鵜殿神社とも称された。「姶良名勝誌」に、「鵜戸六所権現、尊神六躰木神像高五寸五分宛座像 彦五瀬命 稲飯命 三毛入野命 彦波瀲部武鵜茅葺不合命 玉依姫 神武天皇 御祭九月十九日…」とある。文禄3年(1594)大脇主馬太夫盛親が書写した「神記」によれば、天平19年(747)9月19日勅により六所大権現と号し、弘安3年(1280)2月10日勅使の下向があり、また享禄4年(1531)火災により焼失荒廃し、大脇大膳なる者が荒蕪地を開き小社を営んだことが記されている。その後、明和5年(1768)島津重豪が社殿を建立し、本田出羽守親盈に命じて神霊を勧請した。鵜戸神社御宝殿改築棟札によれば、当社の御宝殿は長久4年(1043)癸未に建立されていたという。創建は定かでないが、相当の古社であることが知られる。
元、姶良山稜奉拝所の東にあったが、明治4年(1871)11月御神殿修復のため八幡神社境内地に仮に遷座それ、同6年(1873)1月郷社に列せられ、昭和39年(1964)旧本殿・舞殿を現在地に新築し遷座された。八幡神社は、明治4年(1871)末に上名中福良へ遷座された。
明治45年(1912)7月2日無格社御年神社を合祀した。
氏子は麓・上名・下名にわたり信仰の中心として今日まで継承されている。
鹿児島県神社庁公式サイト より。

参道入口

参道

境内

拝殿

拝殿内部

本殿


護国殿

石祠
石仏

御神木