月読神社

鹿屋市串良町有里3134 (平成27年2月28日)

東経130度57分30.23秒、北緯31度23分42.99秒に鎮座。

この神社は、串良町市役所支所の北北西1km程の辺り、串良町有里の街中に鎮座しております。

御祭神 月讀命・国常立命・国狭槌命・豊斟淳命・建御名方神・八坂刀売神

由緒
明応4年(1495)の創建と伝承され、鶴亀城の守神として一之宮大明神と称し、寛文12年(21672)島津久胤により新宝殿が造営され祭神に月讀命を祭祀し、玉兎一之宮大明神と呼称、明治4年(1871)神社令により月讀神社に改名、福山村宮浦神社より国常立命・国狭槌命・豊斟淳命を合祀、大正10年(1921)諏訪原の南方神社の祭神、建御名方神・八坂刀売神が合祀された。・・・・
境内由緒書き より。

由緒
後土御門天皇の明応四年、島津豊後守忠朝が串良城主となり、細山田の物部氏の遠祖十五神を祀る一之宮の十五諸神の一社を城の守り神として勧請し現地に宮床を定め一之宮大明神と称して尊崇した。寛文十二年島津久胤が奉行となり新宝殿の造営をなし、祭神も月読命が祭祀され社名も玉兎宮一ノ宮大明神と呼称され九月の祭礼時には郷土達により流鏑馬が奉納された。
明治四年社号を月読神社と改め、福山村の宮之浦神社から国常立命・国狭槌命・豊斟淳命の三神を合祀、大正十年諏訪原の南方神社の祭神建御名方神・八坂刀売神を合祀した。
平成九年創建五百年記念事業として拝殿・社務所・手水舎を新改築した。
鹿児島県神社庁公式サイト より。

参道

参道

境内

拝殿

拝殿内部

本殿


末社