鹿屋市高須町1674 (平成27年3月1日)
東経130度47分47.97秒、北緯31度20分44.17秒に鎮座。![]()
この神社は、鹿屋市役所の西南西6km程の辺り、高須海水浴場の北、海にほど近い高台に鎮座しております。
御祭神 伊弉諾尊・伊弉冉尊・事代主神・國常立尊・表筒男尊
由緒
創建は詳らかでないが、南北朝期の正平3年戊子(1348)6月1日、都より法印権少僧都昌光が南朝方に与する肝付氏応援の為当地へ下向し、皇室安泰、国家安全、逆賊殲滅を祈願した願文があり、創建勧請はこの頃と思われる。古くは波上三所権現と称し、祭神は熊野と同じである。
境内に昭和13年(1938)5月27日市指定の考古資料南北朝期の板碑六基があり、内黄色疑灰岩で造られた五基六百年近く経た今日でも刻字が鮮明である。南北両朝の元号が刻字されており、当時の混乱した世相を物語るもので、歴史研究上からも第一級の文化財である。
なお琉球征伐の際、権現丸と命名した船に当神社の御分霊が奉戴され、偉功をたてて藩侯より感状を受けた。慶長7年(1602)9月中旬義久とある。
鹿児島県神社庁公式サイト より。
参道入口と一の鳥居
二の鳥居
| 仁王像 | |
拝殿
拝殿内部
本殿覆屋
石祠等
板碑