山神・水神社

鹿児島市吉野町9700-1(平成19年6月25日)

 この神社は万治元年(1658年)島津藩主の別邸として建てられた仙巌園(磯庭園)内、反射炉跡隣に鎮座しています。この社については勧請年月・縁起・沿革等は全て不明で、島津氏によって祀られていたのだろうという推測しかできません。
 お隣の反射炉は鉄製大砲を鋳造するための溶解炉です。薩摩藩主島津斉彬は、オランダ陸軍少将ヒュゲニンが著した「ルイク王立鋳砲所における鋳造法」を参考に、嘉永5年(1852)反射炉(1号炉)の建設に着手しましたが、炉が傾き耐火レンガが崩れ落ちるなどして失敗したため、その後2号炉を建設させました。2号炉は安政4年(1857)完成し、鉄製大砲の鋳造に成功しました。現存する石垣は2号炉のものですが、石垣は1.5mほど埋没しており、本来の高さは4mを越え、この上に高さ15〜20mほどの炉がそびえていたそうですが、石垣の上部には2号炉の基礎部分がきれいに残っています。(仙巌園HP参照)

神社全景
山神社 水神社

反射炉跡