若宮神社

鹿児島市池之上町7-30(平成22年1月6日)

東経130度33分59.39秒、北緯31度36分12.7秒に鎮座。

 この神社は大龍小学校の東約70mに道路を挟んで鎮座しています。入口には朱の綺麗な鳥居が立ち、玉垣のすぐ傍に薩摩型の狛犬が睨みをきかせています。紅い絨毯が敷かれたように彩色された参道の奥には、入母屋造りで二重の千鳥破風が付いた、朱と屋根瓦の黒のコントラストが鮮やかな拝殿が建立されています。本殿前には木製と思われる力強い神殿狛犬もいました。又、境内には門守神社や地神・水神など沢山の末社が祀られています。

 御祭神:応神天皇、仁徳天皇、神武皇后、玉依姫命、相殿:天照皇大神、天津日高彦火瓊々杵尊 、建速須佐之男命、大国主命
 祭礼日:七草祭・1月7日、節分厄払祭・2月3日、祈年祭・3月9日、六月灯・7月9日、例祭・10月9日、七五三詣・11月15日
 境内社:門守神社、地神、水神など
 由緒:若宮神社は創立より明治初年まで若宮八幡宮と称せり。
 島津家初代忠久公が薩隅日三州の地頭職に補ざされ、薩州出水郡野田郷木牟禮城に居を定め、暦応4年(1338)この地方や鹿児島郡一帯も安定され、後村上天皇興国2年(1339)4月に五代藩主貞久公が東福寺城を居城と定め、延文2年(1356)国分正八幡の三の神輿(応神天皇、神武皇后、仁徳天皇)を現在の地に遷座建立され、若宮八幡宮と号する。
 その後、永禄4年(1558)十五代貴久公が家臣面高看泉坊英俊という山伏に命じ、鎌倉鶴ヶ岡八幡宮の御神像をうつし刻ませ、同6年にその御神霊を鹿児島清水の若宮八幡宮に合祀されたとある。
 この後六日町にあった島津家守護神鶴ヶ岡八幡宮の御神霊も享保5年(1716)当神社に合祀。藩政時代は藩内寺社奉行所にて管理されていた。代々の城主は産土神社として崇敬篤く、社殿改築、神器、神宝等寄進多大なりし。又、度々の出陣祈願、藩主家督の報告祭等執り行われ、祈願文その他今尚保存せし物もあるが、殆ど戦火で消失せり。特に鹿児島荒田村に神饌田を寄進され、現在も此の地を「神田」と呼ばれている。
 鹿児島五社の一に列せられ、現在に至っている。
 明治6年に郷社に列せられ、明治40年6月に供進指定神社に昇格すとある。

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社頭
入口の鳥居
入口にいる昭和6年生まれの薩摩狛犬
阿吽の位置が反対です。薩摩狛犬の特徴の一つである、顔が大きく、剛直な狛犬ですが、特に上半身の筋肉が盛り上がり、力強さが目立ちます。肋骨が線で現され、尾は五本に分かれ背に張り付いています。派手なミサンガのような臑毛が可愛いです。
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(石工・山田盛吉 昭和6年(1931)11月建立)
参道・境内の様子
門守神社
手水舎 境内社
拝殿
拝殿内の様子
本殿前にいる木製?神殿狛犬
遠くで暗くて実際には良く見えなかったのですが、こうしてみると神殿狛犬も薩摩型といって差し支えないほど逞しいですね。この狛犬も阿吽の位置が反対です。
本殿鞘堂
末社・若宮供養碑等 末社・地神 水神等
末社