照国神社

鹿児島市照国町19-35(平成19年6月25日)

 この神社は城山の南麓に鎮座しています。今回は1泊2日の「高千穂峡散策・球磨川船下り」という団体ツアー旅行で九州まで飛んで来て、神社巡りは無理かな? と思っていたのですが、添乗員さん・ガイドさん達のご好意で、合間合間に結構たくさんの神社に参拝できました。この社も本当は参拝の予定になかったのですが、生憎の曇り空で対岸の桜島が見えないので、城山観光の時間が短縮され、その代わりとしてこの社の参拝時間を捻出して頂けたのでした。皆さんには残念な結果でしたが、私どもにとってはとっても嬉しいことでした。

 御祭神:島津家28代当主・島津斉彬公
 例祭日:歳旦祭・元旦、元始祭・1月3日、七種祭・1月7日、節分祭・2月3日、紀元祭・2月11日、祈年祭・2月15?日、水無月大祓祭・6月30日、国旗祭・7月11日、六月燈・7月15・16日、例祭・10月28日、明治祭・11月3日、新嘗祭・11月22日、天長祭・12月23日、師走大祓祭・12月31日、朔日祭・毎月朔日、月次祭・毎月11日、中旬祭・毎月15日
 境内社:氏神神社、水宮、保食神社
 由緒:御祭神となっている島津家28代当主・島津斉彬公は安政5年(1858)7月に50歳で急逝します。7年間の短い藩主時代、鹿児島市・磯地区に「集成館」という工場群を築き、造船や製鉄、紡績、電信、ガラスなどさまざまな事業に取り組み、また西郷隆盛や大久保利通ら明治維新で活躍した人材を育てた生みの親でもあります。文久3年(1863)には勅命で「照国大明神」の神号が授与され、東照宮の建っていた場所に神社が建立されました。明治6年(1873)には「県社」に指定され、明治15年(1882)には別格官幣社に昇格しました。斉彬公の功績と明治維新での薩摩藩の役割が考慮されたものと思われます。鹿児島県下で最も多い参拝者を誇る神社で、初詣の参拝者も例年鹿児島県1位の座を守っています。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)



神社入口・大鳥居 社号標
「別格官幣社  照国神社」
境内入口に
大きく羽ばたく植え込みの鶴?
神門と回廊
神門手前右手に建立されている塔
屋根には狛犬の頭が乗せられています。
拝殿
拝殿内の様子

本殿後からと右脇から。手前は社務所裏。
邪鬼
本殿左側、末社・水宮入り口右側にいます。 魔除けのために置かれたものと考えたのですが、風水では、普通、鬼門は北東の方位のことで、鬼門とは反対の南西の方角を裏鬼門と言い、この方角も忌み嫌われています。この邪鬼はこの社の北西に置かれていたので、あるいは違う目的で置かれたか、頭上が平面で両腕で支えた形を取っているので、本来は上に何かを置いて使用されていたのかも知れません。いずれにしても珍品です。
氏神神社 末社・水宮入り口
近隣から集められたのでしょうか? 全て水宮です。
末社・保食神社、入口と社殿
東隣に鎮座する護国神社
照国神社の御祭神・島津斉淋公像のお隣に社殿が建っていたので、てっきり照国神社舞殿かと思っていましたが、帰ってから詳細地図を見ると、護国神社とありました。現在、鹿児島市草牟田に鎮座する鹿児島県護国神社の旧社殿のようです。次回にはきちんと参拝したいと思います。