多賀神社

鹿児島市清水町32-32(平成22年1月6日)

東経130度34分15.05秒、北緯31度36分11.55秒に鎮座。

 この神社は鹿児島駅の北東約750m、多賀山公園内に鎮座しています。というよりも元々は多賀神社の社地だった所が、現在は多賀山公園になっている…という方が正しいのでしょう。
 現在は多賀山公園内駐車場から西に向かう参道が造られていますが、元々はJR鹿児島本線の線路際に参道入り口があり、線路を跨いで、反対側に鳥居が建立されています。この参道は現在も使われているようで、今でも綺麗に整備されています。ただこちらは線路内を歩くことになるのと、結構な石段が続くので、足の弱い方やお子さんはお薦めできないかと思います。
 境内にはいると先ず目にはいるのは、根巻だけが残った石の鳥居跡と、その後ろに控える狛犬の姿です。薩摩型の狛犬で、建立年代は不明ですが、非常に出来の良い狛犬でした。参道を進むと境内左側に門守神社、右側に御旅所があります。社殿は左側奥に建立されており、朱の社殿が森の緑に良く映え綺麗な対比を見せています。社殿奥には磐座も置かれています。
 高いところに登ったお陰で、境内からは祇園之洲公園、鹿児島市街地や港の様子が見晴らせました。
 又、多賀山公園には東郷平八郎元帥像やお墓、島津氏の居城であった東福寺城などの見所もあります。

 御祭神:伊邪那岐命、配祀:天照皇大神、豊受姫大神、瓊々杵尊、天児屋根命、天太玉命、手力男命、栲幡千々姫命
 祭礼日:6月上旬・例祭(旧5月16日)、11月上旬・ホゼ 豊穣感謝(旧10月16日)、毎月16日・月例祭
 境内社:門守神社
 由緒:当神社御由緒は、十六代の藩主島津義久、近江国多賀大社の御祭神が寿命神であることを聞き当て、藩内にこの様な社が無い所から、是非この神を祀って藩内万民の保命を祈らむと、鷲頭不動院に命じて本社の御分霊を斎せんと、天正六年 近江国へ遣し、還魂を執行せしめ、天正七年己卯二月六日御勧請、現在の地に御鎮座されたもので、以降代々の藩主の崇敬篤く、殊に戦前戦中は参詣多く隆盛を極め、永年子宝に恵まれなかった夫婦が当神社に祈願を為て子宝を授り、又、瀕死の重症者が御神慮に依り一命を取止めた等々、枚挙にいとまがない程数々の実例を持つ、霊験顕かな神様であります。
 鶴江崎神社は、二十一代の藩主吉貴 江戸芝神明宮より、宝永三年丙成九月十五日勧請。後、大正五年二月十四日春日町より多賀神社へ合祀され、現在に至る。

神社遠景
山上の森の深いところに神社は鎮座しています。
参道入り口
参道はJR鹿児島本線の線路を跨いで、反対側に鳥居が建立されています。
社号標 根巻鳥居
線路脇の鳥居から山上の境内まで、九十九折りの石段参道が続きます。
境内入口
境内の様子
根巻だけが残った鳥居の後ろに薩摩狛犬の姿が見えます。
境内にいる建立年代不明の薩摩狛犬
今回鹿児島で見てきたものの中では、一番印象に残った狛犬です。顔がやや大きく、背中が弧を描くように綺麗に丸くなっいている所は薩摩狛犬の特徴で、阿吽共に同じですが、吽には大きな角があり、鬣や臑毛、背骨や体表の表し方、尾の造り等が阿吽で異なっています。顔つきも知的で目が清々しく、非常に優れた造形力を持った石工さんの手による物と思われます。私は薩摩狛犬を代表する逸品と考えています。
狛犬の拡大写真はこちらで
境内の様子
門守神社(豊磐間戸命、櫛磐窓命)
拝殿
本殿鞘堂
拝殿窓から見える本殿と左右脇殿
 
本殿後ろに置かれている磐座 境内にある御旅所
境内から見える祇園之洲公園、鹿児島市街地と港の様子
多賀山公園からの神社入口
多賀山公園からの参道と社頭

多賀山公園内にある

東郷平八郎元帥像 元帥東郷平八郎墓