長田神社

鹿児島市長田町126(平成22年1月6日)

東経130度33分23.76秒、北緯31度36分1.97秒に鎮座。

 この神社は南風病院の西約250mの高台に鎮座しています。境内へは石段で上がり、右手に手水舎、正面に開放的な拝殿、本殿が建立されています。境内左側には御神木の公孫樹が聳えています。

 御祭神:事代主之命、建御名方之命
 祭礼日:7月25日・六月灯
 由緒:承久3年(1221)に勧請され、創建以来福ヶ迫諏訪神社と称し、初めは薩摩国出水野田郷山門院木牟禮城内に創建され、島津家初代の藩主忠久公より代々の藩主の崇敬篤く、国内安泰の祈念をしばしば行われ、藩主は薩隅日三州の安定なるや、暦応4年(1341)5月、五代藩主貞久公は、鹿児島郡東福寺城に移転、此処を居城と定め、山門院より(上諏訪神社清水町南方神社を云う)下諏訪神社を現在の福ヶ迫に遷座建立さる。
 其後、上山城も島津藩の支配となり、下諏訪神社は上山城の守護神として特に信仰暑く、藩内に寺社奉行所を置かれ、藩費を以て造営修繕悉く執り行われ、祭祀料その他幾多の金品を献納せらる。
 旧藩時代は福ヶ迫諏訪神社と称していたが、主神が事代主之命であるとして、明治2年に長田神社と改名さる。明治6年郷社に列せられ、明治40年6月には供進指定神社に昇格す。

社頭
境内入口
拝殿
本殿
御神木 手水舎