川添諏訪神社

鹿児島市坂元町(平成22年1月6日)

東経130度33分34.3秒、北緯31度37分40.52秒に鎮座。

 この神社は25号線から東に下り稲荷川右岸近くの道路沿いに鳥居が建ち入口があります。そこから境内までは安永7年(1777)の遷祀時に村人総出で作られた139段の石段が続き、境内には白と赤のコントラストが綺麗な拝殿、本殿鞘堂が建立されています。

 御祭神:諏訪大明神
 祭礼日:7月22日
 由緒:島津五代貞久公は、庶長子頼久を従い各地に転戦し、特に京師北陸方面には貞久公の代理格で頼久を出陣せしめ、大いに奮斗し、その功績があり父貞久公に寵愛されていた。
 偶々信州信濃の国(現長野県)に出陣した際、諏訪は先祖島津忠久公時代の領地で、其処に祭れる諏訪神社(上下二社あり)は祖先の崇敬せし神社であるからと言うので、その下の諏訪神社の御神体を密に盗り、帰郷の後出水に祀り、其の後氏久公が鹿児島に遷祀された。今の清水町の御諏訪さあ(南方神社)である。
 島津家では之を崇敬せられ、其の後信州の上の諏訪神社の御神体をも持ち帰らんと謀りしが、失敗の終り果たさなかった、とある。
 其の後貞久公の庶長子頼久は、川上家の姓を島津家より賜り、川上村(今の川上町)一帯を島津家より拝領し、南方神社の先に信州下諏訪より持ち帰った御神体を分霊して、川上村の内花棚の小原門に奉祀せしを、川上家十一代久隈氏が、川上村より川添の地に拝領替になり、邸宅を川添に移転してより祭祀不便のため、川上家十六代久東氏、花棚から川添の地に安永7年(1777)に遷祀したものであり、祭神は正一位諏訪大明神で、祭神日は毎年7月22日とある。…後略…

社頭
139段の石段が続く参道 入り口右側に置かれた仏像
境内入口
拝殿
本殿鞘堂 御神木
境内から見えた坂元町の様子