春日神社
鹿児島市春日町4(平成22年1月6日)
東経130度34分06.16秒、北緯31度36分09.77秒に鎮座。
この神社は10号線春日町交差点の北に鎮座しています。この地は祖も昔薩摩水軍の軍港だったところで、境内脇には「薩藩水軍軍港跡」碑が建っています。又、道路反対側には日本の教育制度を創設した初代文部大臣・「森有礼誕生地」碑も見られます。
神社そのものは余り大きな社地ではなく、道路から全体像が見渡せます。入口には鳥居と社号標が建ち、綺麗に手入れされた境内に、拝殿本殿が建立され、地神などの末社が数社祀られています。鹿児島五社の第四位の神社で、上町五社の中で一番古い社として、由緒有る神社のようです。
御祭神:経津主神、武甕槌神、天児屋根神、姫大神
祭礼日:不明
境内社:地神等
由緒:鹿児島五社は島津氏の勧請による物が多いが、ここは唯一発祥に島津氏と関係のない神社である。
藤原純友の五代孫を称する長谷場直純は鹿児島湾を望む丘陵地に東福寺城を築いたが、その際、鎮護神として氏神に当たる奈良の春日大社を勧請し創建された。建っていた場所は東福寺城の船着き場であったと言われる。
その後、長谷場氏は南北朝時代には南朝側に付いたために北朝側であった島津氏と争うことになり、1343年、島津貞久に依って東福寺城は陥落した。その後東福寺城は戦国時代まで使われたが江戸時代初期に廃城となり春日神社だけが残った。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)
手水舎 |
御神木 |
|
|
地神等 |
末社 |
|
|
「薩藩水軍軍港跡」碑 |
|
|
「森有礼誕生地」碑 |
|
|